太陽について思うこと  ピエル・パオロ・パゾリーニ

 

 ―― 太陽の権威をもつ、ひとかどの人物がいる。

 ―― それどころか、太陽はすべての可能な権威を前もって表していた。

 ―― 太陽はつかの間の大いなる歓びを与えてくれるが、それから運も尽きる時がきて、

   落ち着いて考え、義務を果たさなければならなくなる。

   この世界は心地よい場所ではないのだから。

 ―― この世界では時刻表が大いに重要だ。

 ―― だから、太陽に起源をもたない官僚制は存在しない。

   大臣たちがテレビを見たり、神妙にクソをしに帰宅するとき、

   それ(日没)が神の意志によるものだと、彼らは思うにまかせる。

   お偉方の険しい顔つきは、我々に背を向け、反対側の天空の太陽を仰ぐ。

   かくして、そこでは重要なことが起きているのだ。

   哀れなカイセリ地方よ、ともにあった寛大なる太陽が立ち去ってゆく。

                               (一九六九年六月)

 

(『パゾリーニ全詩集』モンダドーリ版より訳出、米川良夫訳「太陽についての考察」参照、『王女メディア』(一九七三)所収)

 

カイセリとは、撮影地カッパドキアのある地域である。パゾリーニは撮影中にも少なくない数の詩を書いていて、この「太陽について思うこと」もそのなかの一篇である。「カラス」という詩もあり、何篇かの詩をマリアに捧げている。さらに、パゾリーニによるマリアのスケッチ画が多く残されている。撮影中のパゾリーニとマリアの関係については当時、マスコミにもいろいろ取り上げられ、話題となっている。二人の関係を、ピエール=ジャン・レミ『マリア・カラス ひとりの女の生涯』(矢野浩三郎訳、みすず書房)は「……マスコミは、二人の間にロマンスが生まれたかのような理不尽な話まで書きたて、マリアはそれを懸命に打ち消さなければならなかった」とし、クリスティーナ・G・キアレッリ(前掲書)は「……パゾリーニの母親や従妹とも知り合い、少しの間、夜になるとパリから彼らに電話をしたりした。だが、やがて、はっきりとは知りたがらなかったが、ピエル・パオロは彼女の虚しさを満たしてはくれないと直感し、一人、ピアノの前に戻った」と、ひかえめに表現している。

レンツォ&ロベルト・アッレーグリ(前掲書)は、パゾリーニのフリウーリ時代からの友人で画家のジュゼッペ・ヅィガイーナの証言を得て、かなり踏み込んだ興味深いエピソードを記している。ヅィガイーナは『テオレマ』などの作品にも協力していて、パゾリーニの死後、『パゾリーニと死』という本を書いている。以下はアッレーグリらの記述をもとにしている。

マリアは共産主義に対して嫌悪感をもっていたが、パゾリーニがマルクス主義から影響を受けた彼の社会観を語り出すと、マリアはしだいに彼の話に夢中になっていったという。そして、「あまりに信じがたいが、彼に恋してしまった」(アッレーグリ)。

ヅィガイーナはパゾリーニからマリアの世話をするように頼まれ、二人で話をする時間が多くなり、しだいにマリアはパゾリーニについてあらゆることを聞いてきた。父母のこと、レジスタンスで死んだ弟のことにいたるまで、根掘り葉掘り聞いてきた。「とはいえ、まさか、カラスがピエール・パオロに恋したとは思いませんよ。そりゃ、だって、誰しも彼が女に魅かれることはないと知っていたし、現にセットにも公然の秘密で同棲中のニネット・ダヴォリって男の子がいたんですから。……ところが違った。彼女は何も知らなかった。あとで分かったんですけど、彼女はこうしたことに信じがたいほど無邪気で」(ヅィガイーナの証言の部分)。誠実で心配りの濃やかなパゾリーニと無邪気に人に恋してしまうマリア。パゾリーニはマリアの思いに気づいてはいても、それほど深刻には考えていなかったという。そして、撮影終了の記念にと、パゾリーニとヅィガイーナはフリウーリゆかりの「カメオの指輪」をマリアに贈る。この「気のきいた」というよりは「誤解を招く」贈り物は、パゾリーニとの結婚まで考えていたというマリアを狂喜させ、思い違いをさせてしまったのである。しばらくたって、マリアからヅィガイーナに電話がかかってくる。「いつ決めてくれるのかしら。婚約指輪まで贈ってくれたのですもの。いつ結婚を決めてくださるのかしら。わたしはもう我慢できないの、たまらないの、死ぬ思いなの」。

そこで、パゾリーニは誤解を解くためにマリアに会い、長い時間話をしていたと、ヅィガイーナは語る。その後も二人は手紙を交わし、七一年にはモラヴィア、ダーチャ・マライーニとともに四人でアフリカ旅行もしている。このエピソードがどこか微笑ましいほどの好ましさを感じさせるのは、パゾリーニもマリアも、どんな思惑も打算もなく、ただ純粋で混じりけのない存在であるからだろうか。その後、七五年三月にオナシスとヴィスコンティが死去し、十一月二日にはパゾリーニが惨殺されている。七七年九月のパリでマリア・カラスはいささか不審なところもある(クリスティーナ・G・キアレッリ)突然で、孤独な死を迎える。

パゾリーニのマリア宛ての手紙は残っていないが、マリアの手紙は残っている。

「……私には真の友人は少ないけれど、あなたはそんな一人。

私はあなたの真心と誠実を大切にしています。私たちの心は強く結びついています。人生にとって、それは何と貴重なものなのでしょう……」(ニコ・ナルディーニ、前掲書より)