桂から突然電話がかかってきたのはそんな会話をした二、三日後だったので驚いた。桂とは一年間同じ弁論部で一緒だった。おたがい憎からぬ感情を持っていたがついにどうこうならなかった。
「みこちゃん、あなたは当時、いびつだわ、というのが口グセだったが覚えている?」
「あら、そうだったかしら。もう忘れたわ」
「集まってはよく議論をしたじゃないか。一冊の本をめぐる話題だったり、政治問題だったり、生き方や哲学のことだったりしたが、どんなときにもあなたは、いびつ、とてもいびつだわ、と言って締めくくった。その言い方が小気味よくてね。いびつ姫とあだ名したいくらいだったよ」
桂はあずかり知らないことだろうが、私の身辺が大変なこの時期にそんなくだらないことを確かめるためにわざわざ長距離電話をかけてくるだろうか、普通、と澄子は思った。一矢報いるつもりで、
「弁論部の最後を看取ったのはわたしよ。本部建物に機動隊が入る前の日に部室のあった木造の第一食堂が燃えるという事件があったでしょ? たまたまそこに居合わせた私は火が回る直前に大事なものを取り出しておこうと口に手を当てて部室に飛び込んだ。結局、いまとなればどうでもいいような本を何冊か運び出しただけだったけど。それがわたしたちの弁論部の最後。あなたはもうどこにもいなかった」
本部建物の封鎖に関わり、その中で何日にもわたって寝泊まりしていた様子ではあったが、その日の何日か前に桂はそこを去った。なにか思うところがあったのだろうが、結果としては敵前逃亡だった。機動隊と闘うことを怖れたと思われても仕方のない行動だった。それが桂の負い目だと澄子は勘ぐっていた。
「そのとき川ひとつ隔てた青雲寮の屋上から旗を振ったり、歌を唄ったりして機動隊に応戦する籠城仲間にエールを送ったわ。それがわたしの記憶する最後の連帯。じっとしていても汗がだらだら出てくるのにちっとも暑いと感じなかった。その運動もポシャって、もちろん弁論部も消滅し、あとはいわば後日譚めかした個人史に成り下がるのよね」
「みこちゃんと最後に逢ったのはいつだったのかなぁ? 構内でヘルメット姿のあなたを見かけた記憶もない。一緒にデモの隊列を組んだ覚えもない。街を出るときさよならの挨拶もしなかった。不思議な別れだったね、お互い」
「それら一連のことは桂さんが思い出したくないから忘れているだけだと思うわ。都合が悪いこと、イヤな記憶は年が経てば自動的に消滅していくということよ」
いつしか教師くさい言葉になっていて澄子は苦笑する。
「そうか。いまみこちゃんの頭に真っ白なヘルメットを想像すれば、それが新しくまたしばらくは記憶のなかに生きていくかも知れない。石崎は元気?」