詩と小説――詩史的課題として
一 明治三〇年の抒情詩人たち
1 散文への転身とその在り方
『抒情詩』のその後 前稿(連載2)で筆者は国木田独歩の詩と詩論を批判的に捉えた。独歩だけでなく、独歩をその一人とするアンソロジー『抒情詩』(明治三〇年)全体についても同様に批判的に捉えた。ほとんど否定的態度に近かったはずであるが、作品の水準とは別にそのとき念頭にあったのは、今回の表題とした詩と小説の問題であった。厳しく対峙させることになった背景である。
ここでは詩集に名を連ねる六人(国木田哲夫(独歩)・松岡国男・田山花袋・太田玉茗・矢崎嵯峨の舎(嵯峨の屋おむろ)・宮崎湖處子)の内、国木田哲夫(独歩)・松岡国男・田山花袋の三人を取り上げる。三人は、その後(『抒情詩』以後)、比較的早い段階で散文世界に移った、詩からの転出者である。
詩論であれほど大見得を切っていたのにと思ってしまう転出劇だった。とりわけ独歩と花袋の二人である。揚げ足を取るつもりはない。それに高論を吐くのは少しも構わない。いささか気負いすぎとはいえ、その筆勢には真剣みが感じられる。読み応えもあった。問題は、小説とのかかわり方である。世間の注目を浴びる小説家になった後の、さらには文豪と呼ばれるような存在になった後での詩との開きである。開きがあり過ぎるのである。それだけでも不信を抱いてしまうが、あらためて詩を否定的に捉え返すしかなくなる類の開きである。ただし予め断っておけば、後述のように独歩は再解釈される。
壱 はじめ(いちはじめ)1950年生まれ。詩論集「北に在る詩人達」、音楽論「バッハの音を「知る」ために」など。ブログ:http://ichihajime2012.blogspot.jp/ ツイッター:https://twitter.com/hawatana1
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