文体の急変 川上未映子のデビュー(出版会デビュー)は、自身のブログ(「未映子の純粋悲性批判」)の書籍化である。ブログ名のもじり方といい、その後を思わせる文体的特徴の片鱗は、ここに随所に見出せる。デビュー後は〝猪突猛進〟が如き受賞の数々である。次は受賞歴の一部。
受賞歴を掲げたのは、注目のされ方が、課題とする詩と小説の問題に関係してくるからである。本稿執筆者の場合で言えば、華々しい受賞ぶりもあって、「散文」体験の関心を持続する形で[1]から[4]までを順を追って読んだ。ここではそれを相互比較的に読み返すことになる。あらためて文体変化の落差に驚き、その大きさに立ち止まらなければならない。[4]である。並べて掲げてみれば一目瞭然である。
[1] ああ、実感の根拠を尋ねられてそこから話しなならんということは面倒で、そうこうしている間も、やっぱりどうにもわたしはしんどさを感じつつ、医者の黒目かつ洞穴をうろうろしているうちに、ああこれ知ってる、この黒、知ってるわ、この黒は、や、オセロの丸の黒やないのと思いあたって、オセロといえばただいっこ、わたしの思い出でただいっこの、まだわたしにもうだる夏休みなどがあった頃、祖母に連れて行かれたスーパー・イズミヤの帰りに、必ず立ち寄る団地の一室があって、そこには全体的に灰色の男が住んでいたのやった。
[2] 巻子らは大阪からやってくるから、到着の時間さえわかっていれば出合えぬわけはないし、ホームはこの場合ならひとつやし、わたしは前もってきいておいた到着時間を携帯電話に入力して、通話ボタンを一回押して記憶させていたのでその点は安心、歩きながら無数にある円柱にぴったりと巻かれたつるつるの広告を何個も横切って、しかし広告に使われている老女優の着物の柄が、鏡餅なのかうさぎなのかがこれではわからないな、電光掲示板を確認してから階段を、気がついたら教えてて、登っていって、新幹線が色々を吐く大きな音によろけるくらいに圧されながらも、すぐに巻子らを見つけることが出来た。
[4] 僕が住んでいる町には数百メートルもつづく大きな並木道があった。
そこをくぐり抜けて僕は学校へ通っていた。待ちあわせの場所は、この並木道のちょうど真んなかあたりを左に折れてすすんだところにある、公園とも呼べないような小さな空き地だった。
僕は四時に家をでてしまったので、その場所についたときは誰もいなかった。とりあえず僕は胸をなでおろした。そこにはタイヤを横に倒してつくったベンチとコンクリートでできたくじらがあって、そのあいだにお菓子の箱やビニール袋がちらほら埋まった三畳くらいの砂場があった。
上掲の「散文」(「文学カフェことば」)から[2]までの三つの文章は、同じ文体である。それが[4]で、突然、簡潔を旨とするかのような通有な文体に様変わりする。なにも知らされていなかったなら、疑うことなく別人だと思ってしまう。それくらい違う。むしろ違いが大きすぎる。文体論では収まりきらずに小説論を問うまでになってしまう。結論から言えば、ここに限ってはテーマに負けたのである。才能がではなく、書く意味(書くことの意味)がである。勢い小説論として問い直されなければならない。詩論の準備ともなるはずである。
壱 はじめ(いちはじめ)1950年生まれ。詩論集「北に在る詩人達」、音楽論「バッハの音を「知る」ために」など。ブログ:http://ichihajime2012.blogspot.jp/ ツイッター:https://twitter.com/hawatana1
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