エピローグ

 

表現行為に時代は関係ない。ただし本稿でいう場合は、新体詩と対になるような近代小説以降である。その上で独歩の小説からあらためて思うのは、藤村・花袋の小説が彼らの詩を何も語らないことであった。彼らにとって詩が必要であったかを含めて。

詩を単独に見た場合でも同じである。詩は小説を必要としたのだろうか。転身を許したのは、根本的な不足を自分に認めたからか。その上での必要性だったのか。なにも語らないのである。小説から見た場合も同じである。一人の個人の中に同居するものとしては、同じ個人の営為とは思えない、交差し合わない雑居なのである。疑問であるよりは不信感である。ここにはなにかあるはずである。そう思って始めたのが本稿である。

 それもこれも、作品は常に自己批判に晒されねばならないからである。大前提である。そうでないものには虚偽がある。転身ではなく一八〇度立場を変える転向という言葉さえ使うべきであったかもしれない。その場合でさえも彼らの抒情詩には、内側から突き上げられる転向者の苦悩はない。影さえない。

全面的な否定をもって自己表明とした柳田国男は、表に出さなかったにしても、自己断罪者を内に囲っていたとも言える。それを含めて過去に一切触れられたくなかったに違いない、見方によっては頑なまでの立場に読み取れるのは、抒情詩(『抒情詩』)における「内部断罪者」の措定である。その文脈で言えば、独歩の場合は、期せずして「内部批判者」の役回りを担わされていたことになる。

同じ『抒情詩』一派の一員として、叙事詩を否定することにおいて先鋭的であったのは独歩であった(連載2)。見方によっては叙事詩と気脈を通じている自分の小説との折り合いをつける意味からも、その任は回避しえなかったのである。たとえ無意識理に「無言」の内に演じられていたとしてもである。

その上で藤村・花袋が、詩から小説に止揚しえていたのだというのなら、それはそれでいい。しかしあくまでも記念碑的回想にとどまるのは、あるいは一方で自己批判を他者批判に回避する評論家然としていられるかぎりは、否定の対象は詩に終わるだけで済まされなくなる。彼らの存在証明でもある小説も連帯責任を免れないのである。何よりも『破壊』の場合は。

唐突に川上未映子を取り上げたのは、直接的には彼女が『ヘヴン』を書いたからである。どこか藤村の『破壊』を思い起させるからである。作品という極論に生まれるリアリズムに違和感を覚えたのである。その彼女が一方で詩史を体現していたのである。日本近代詩の任意の個人が演じる詩と小説の関係を、ある意味丸ごと引き受けていたのが川上未映子であった。彼女が創る現在形を詩史への「反証」とし、併せてこの問題への「保証」ともする。多くは未了状態にある。直ちに再筆とはいかないが、せめて読み込みの資とだけはしておきたい。擱筆するときである。

 

壱 はじめ(いちはじめ)1950年生まれ。詩論集「北に在る詩人達」、音楽論「バッハの音を「知る」ために」など。ブログ:http://ichihajime2012.blogspot.jp/  ツイッター:https://twitter.com/hawatana1

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