柳田の慨嘆 柳田国男に多くを学ぶこともあった芥川龍之介(一)に対して、「心を動かされなかった」(桑原・前掲)田山花袋がいる。この違いは、そのまま芥川と花袋との文学的次元の違いである。花袋の「自然主義」の核心を衝いたエピソードである。

さらにある。桑原武夫が紹介する次の柳田談である。今度は母親殺しならぬ子殺しの話である。空腹に耐えかねて殺してくれと幼い息子たちに迫られ、分からないままに子供二人の首を落としてしまう父親(炭焼き)の話である。『山の人生』の冒頭におかれた話(実話)である。小説の題材にでもと知己の花袋に紹介したのだという。しかし、そのまま聞き流してしまったのである。話が深刻過ぎるからである。加えて『遠野物語』には心を動かされない。それどころか「粗野をきどった道楽と見たようである」(同上)という。柳田は思ったという。「日本の自然主義文学などというのは、『まるで高の知れたもの』だ」と。

同じ抒情詩に与していた仲間からかくも言われるのである。それも柳田とは立場が違うのだの一言で済まされてしまうのであろうか。もし聞き流しの背後に文学を離れた者の言うことなどという思いがあったとしたなら、あらためて彼の〝節穴〟を嗤うことになる。詩作品においても藤村を含めて彼らの上を行っていたと評される、それが「離脱者」松岡国男の実力だったのである(二)。節穴とは、言葉は悪いが、松岡の詩を深く読めなかったことを言うのである。彼による自作詩からの「永別」が意味するものを、自分に引き受けて問えなかったことを含めてである。

(一) 有名な『河童』に施された「脚注」に次のようにある。「『山島民譚集』は大正三年刊。河童に関する話が多い。芥川は彼に河童のことをいろいろ教えてもらった」(筑摩書房類聚『芥川龍之介全集』3、一九七一年)。話の中には、当然、『遠野物語』の「川童」(五五~五九)もあったわけである。

(二) 評するのは矢野峰人である(矢野一九七二)。「その作品を『抒情詩』に掲げてゐる人の中で、特に傑出せる作家を選ぶならば、私は何等躊躇する所無く松岡國男を擧げたい」とし、「詩壇に永別した」とはいえ、「然し、よしその想は淺く取材の範囲は狭くとも、純粹なる感情、處女の如くつつましく爽やかなる歌ひぶりに至つては、正に藤村以上と評すべく」とし、それはかの蒲原有明も語るところだとしてその評を引くが、その中の一節を掲げれば、「集中松岡國男氏の諸篇の如きは我邦に於てまたと再び得られぬ純粹の抒情詩であらうことは疑ひはない」(「創始期の詩壇」)である。いかにも象徴的である。有明がそう評することは。その有明によって、松岡国男を含め、彼らがなし得なかった詩業が深められる、その後の展開を思うことからもである。

 

壱 はじめ(いちはじめ)1950年生まれ。詩論集「北に在る詩人達」、音楽論「バッハの音を「知る」ために」など。ブログ:http://ichihajime2012.blogspot.jp/  ツイッター:https://twitter.com/hawatana1

copyright © 詩の出版社 midnight press All rights reserved.