3 国木田独歩の「無言」

 

独歩への旋回 本来ならまともに取り上げるべきではなかったのである。すみやかに通り過ぎてしまえばよいのである。独歩ではなく花袋のことである。花袋としてもその方がありがたいのである。必要があったのは、花袋でもまた藤村でもなく、独歩のためだった。

再確認すれば、花袋とは同じ『抒情詩』のメンバーである。日常的にも浅からざる交友関係も有していた。独歩の最初の小説は、花袋との日光滞在中に書かれたほどである。情感に通じ合うものがあったに違いない。重要なのは情感の範囲である。日常に留まっていて、あるいは社会生活上に留まっていて、文学の上では通じ合っていなかった点である。独歩の小説は、情感を出発点として情感へ回帰する。同じ情感ではない。深い気分となって戻ってくるのである。それが独歩の小説である。

詩からの離脱は当然である。必然というべきか。同じ情感でしか戻ってこない。それが彼の詩だった。故に独歩もまた「永別」したのである(一)。独歩が作品(小説作品)で教えるのはこのことである。彼のなかにある必然がそうさせたのだった。かつての類縁者たちを批判的に問い返すのも、この必然がなせる業である。ただし直接にではない。結果としてそうなっていた、言ってみれば無意識裡の批判だった。後述するようにそれも彼の文学の範疇である。

花袋はいい。問題は藤村である。彼の抒情詩が、独歩の小説によって真相を暴きたてられることである。小説が詩を何も語らないからである(二)。小説を前にしてどのように必要であったか、それが伝わってこないのである。詩からも言えることである。小説を語らないのである。どのように必要であったか――たとえば相乗効果への期待なのか(倍音化)、補い合うものなのか(全体化)、あるいは打ち消し合うものか(否定の否定による肯定)、そのように難しく考えなくとも読後感に漂うイメージだけだとしても――なにも浮かんでこないのである。正確にはそれ以前である。問いさえ浮かんでこない。当の本人の姿さえ浮かんでこない。詩と小説の懸け橋になる自身としての姿が。それが藤村における詩と小説の関係である。独断的に見ているわけではない。例証をもとにしたものである。その例証となるのが、独歩なわけである。

(一) ほほ明治三〇年代で詩作を閉じた後、最晩年になって二篇を作ったが、一篇は巻頭言ならぬ巻頭詩である。他の一篇も小品である。

(二) 『破壊』以前なら交錯部分はあった。違う小説に向かう道も開かれていたのである。閉ざしたのはなにか、ここに日本近代文学の限界(自然主義文学の限界)を説くものは少なくないが、詩を超えられなかったこと、超えられないままに散文に転じたことを挫折と見立てる理解もあるはずである。本稿が関心を寄せるところである。

 

独歩の「無言」 独歩の存在は大きい。結果として詩と小説の問題を一身に体現した、同時代における生きた証人(例証)である。問題は、それを無意識裡に演じていることである。それがさらに彼の存在感を高め、例証性をより確かなものとする。「独歩の『無言』」とは、このことを言うのである。文学的精神の基幹をなすものである。

別段多作でもない(ただ藤村・花袋に比べ三六歳と短命)。ことに長編を欠く点は、彼を文豪の列に並ばせない。表だった文学論も吐かない。地味を地で行くかのような細面である。関係ないかもしれないが、彼の文学がつくった「面」に思えてしまう。詩と小説にわたる内的関係が作り上げた顔である。

ただし念のために断っておけば、頭にあるのは、有名な「武蔵野」ではない。「源おじ」(明治三〇年)に始まる一連の小説作品である。描かれた世界には、文学の必然性に達しているものが少なくない。強調しておかなければならないのは、この必然性が彼の抒情詩への答え(ただし「無言」の)を兼ねていることである。形としては次のように表われる。

なんと言っても自己解説がなされないことである。言うまでもなく自己解説とは、藤村の「記念」「おもいで」等であり、それ以上に花袋の「評論」である。独歩の詩と小説の関係は、そのような自己解説によって成り立っていない。『抒情詩』刊行時の当初こそ詩への言及(一)が認められるとしても、その後、自作詩の回顧を含めて新体詩をテーマに挙げた評論は持たない。直接的な否定形をつくらないだけであって、在り方としては柳田国男の側に近い。ここに自作詩に対する否定的態度を読み取るとすると、人によっては逆に独歩の無責任ぶりを見るかもしれない。なにも語らないからである。それはまるで違う。小説作品の高い文学性がすべてを相殺するからである。それもまた独歩の文学の範疇(「無言」の範疇)である。

(一)「新躰詩の現状」(明治三〇年六月「國民之友」第二〇巻三五四号)

 

 

壱 はじめ(いちはじめ)1950年生まれ。詩論集「北に在る詩人達」、音楽論「バッハの音を「知る」ために」など。ブログ:http://ichihajime2012.blogspot.jp/  ツイッター:https://twitter.com/hawatana1

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