彼は彼岸でも書き続けているだろう

         平井弘之『浮間が原の桜草と曖昧な四』を読んで

                                  水島英己

 

 

 

 

 

三部に分けられたこの詩集のなかで、第二部には平井さんの発病後の詩三十三篇が時系列に沿って収録されている。これは彼が試みていた「生涯製作一万篇に向けて」、そのブログ「忘れ女たち」で毎日更新された日刊詩という膨大な詩篇の一部をなすものだ。第一部の十篇もそうで、三部の九篇だけは詩誌に書いたものから収録されているが、これだって彼の考えでは当然「生涯製作一万篇」の内に入っていたものにちがいない。平井さんは詩を一つの作品としては考えていない。完結したものとして詩作品を意図したことはないだろう。それは死ぬまで書き続けるべき何か、あるいは一種の信仰の実践に似た行為として彼にあったのではないだろうか。しかし、これらの詩は全く日録風ではない。

 

久遠ははたらかさず

つくろわず

もとのままと云う義なり

 

まいにち瞑想を続けている

この方法について

朝まだ黄身の白いままの太陽が元神聖都心の方角から

あたしの大腿部を覗きこみ

消毒をした          (「ソラに浮かぶ城2」より、冒頭部の引用)

 

これは第一部の最後の作品、日付から言えば二〇一三年一月十八日にブログに掲載されたものである。「久遠…義なり」は、平井さんの父親、年秋の著『真理の革命』の注解において引用された日蓮の言葉、という説明がこの詩の自注でなされている。平井年秋とはいかなる人だったのか。父親の思想との関係、また前詩集のタイトル『複数の信仰には耐えられない日蓮』、同名の連作詩などからも窺える「日蓮」宗との関連、この二つの平井詩への影響についてどう考えるか。それはこれからの課題として、ここではただ平井さんの書き方の一つの例として上記の詩を読んでみたい。引用との関連は抜きにして、二連目の「朝まだ黄身」などの掛詞的な語の連接、時として超現実的な異様さと不可解さを産み出すイメージ、あるいはその結合、作中の「あたし」という語り手の語りと振舞いの特異さ、これらのものが平井詩の目に見える技法的な特徴である。

 

あるイメージや音(始終ジャズが響いている、チャールズ・ミンガス、クリフォード・ブラウン、サマータイム、ビリー・ホリディ)は自在に跳梁しているが、平井詩に「意」はあるのか。これは問いそのものがおかしい。「意」などないと言えばない、あると言えばある、ようなものではないか。ビリー・ホリディの歌う I’ll Be Seeing youをタイトルとした一篇は「両手両足思想の舌の根と先まで/縛られて」いる「あたしたち」の脱出不可能性を逆説的に思い描いたものだ。読者の一人としてそう考えるだけで、異なる意味で読まれてもいい。それも平井詩の一つの方法だと言える。最後の連を引用する。

 

 あたしたちは黄色い死神だ

 夜が歌っても

 かすれた愛で

 昨日の海を逃げてゆく

 あたしたちは泳ぎの下手な

 崩壊の魚だ

 光り灯しながら

 つながれてI’ll Be Seeing you

 あなたに会いにゆく

 

しかし、幽かだがふるえている動きがある。それは大きくなると次の詩になる。

 

 ほんとうの神さまは

 ほんとうの信ずるこゝろとひきかえです

 ほんとうの信ずるこゝろは

 ほんとうのそうでないこととひきかえです

 

 誰と遊んでいたん?

 木星人

 なにしてたん?

 色薄め、

 色まぜ

 楽しかった?

 かなしかった

 ずっと

 続いていかなかったから

 

 ほんとうにしたいことは

 こゝろとひきかえにはなりませぬ

 ほんとうのそうでないこととひきかえです

 ほんとうの生きていることは

 ほんとうに死んでゆくこととひきかえです  (「色薄め、色まぜ」全文)

 

平井さんの詩には「こゝろ」という言葉が頻出する。ガン発病が分かった次の日に掲載された『不二をのぼれ』に「おう不二/不二をのぼれ/そして恋のように/こゝろを守れ」、『蒼ざめた夜ゾラの馬』に「あたしたちはののしりあうこゝろを鞄にかえす」、題名抜きに目に留まった詩行から引用すれば、「こゝろは揺れて/こゝろが終わった」、「こゝろの色を変えた」、「こゝろは枯れて/色彩は草臥れはてた」、「四のなかでこゝろは少し重くなり」、「姉さんは待っていてこゝろと背中をさすってくれる」等々。「こゝろ」という語ほど定義しがたいものはない。それは霊(soul)と身体(body)との中間にあってどっちつかずのものなのか。平井さんは、この詩では思い切って「こゝろ」の階層化に着手したようにも見える。「ほんとうの信ずるこゝろ」と単なる「こゝろ」とは異なるのか。いやそうではない、色薄め、色まぜの遊びの短さをかなしむ、木星人との官能的な、ありえない遊び、それは「ほんとうのそうでないこと」の極限の象徴にちがいない。それにまみれるかなしさを彼は「こゝろ」と言っているのではないだろうか。換言すれば、此岸を「よく歩いた」ものにしか「こゝろ」の悲哀はわからないだろう。そのうごめきが平井詩の「意」の要になるのは当然だ。それにしても「ほんとうの生きていることは/ほんとうに死んでゆくこととひきかえです」とは、なんというかなしいこゝろだろう。生と死が刺しちがえる「ほんとう」の地点へ向けての「こゝろ」の歩み、その此岸における実践として『浮間が原の桜草と曖昧な四』は私たちに遺されたのだ。

 

 

 

水島英己(みずしまひでみ)一九四八年、徳之島に生まれる。詩集に、『今帰仁で泣く』『樂府』『小さなものの眠り』(思潮社)など。

ツイッター→https://twitter.com/yokoushio

むこう