赤レンガ
目覚めたすぐあとに、それはババ抜きみたいなものであるのだろうと桂は思った。四、五人が交互にカードを引き合い、同じ数字があれば二枚を重ねて場の中に投げ出していく。持ち札がなくなった者から順に勝ちを拾っていき、相手のないたった一枚のジョーカーを手の内に残した者が負けとなる。みんながよく知っているそのゲームでババとはジョーカーのことである。ジョーカーを抜くのは敗者になるための必要条件であるが十分条件ではない。仲間の手から手へとそれは移っていく定めなので引いたからといって敗者になるとはかぎらないからだ。かりに敗者になったとしても座を盛り上げるアンチヒーローである。落胆からほど遠いのは、引いた瞬間の昂ぶりが証明している。
自ら弁明するようにこんなことを縷々考えたのは肝心の夢の中身が思い出せないせいだった。ババ抜きが比喩の対象となるような一連の情景だったにちがいないがいまはそれとしか呼ぶことができない。
ショーウインドーを叩き割った拍子にガラスの切っ先がまるで意趣返しをするように壹岐の左肘に深く突き刺さり骨の近くまで肉が抉りとられた。傷口を十三針縫ったあと、副え木を当てそのうえに包帯をぐるぐる巻きつけているので折り曲げることができない。手当てをした外科医は左手が動かせるようになるまでおよそ一ヵ月かかると言った。身体の脇にだらりと腕をたらしたまま肉が盛り上がり窪みを埋めてくれるのを待つしかない。
もし動脈が断ち切れておればショーウィンドーは血の海となり、そのなかで溺れるように息絶えていたかも知れない。そうならなかったのは自分のことよりも人の心を大切にする壹岐をそんなにたやすく逝かせてなるものかという天の配剤だと桂には思えた。
「一生分の厄が落ちたか?」
冗談めかして言うと壹岐は直立不動のロボットのように身体はびくともさせず唇を歪めた。鯉城近くの県警本部に迎えに行ったときのことだった。どうせ暇だからと石崎が従いてきた。
「おつとめご苦労様でした」
受付前で署員の目も気にせず舎弟を装うように石崎は腰を二つ折りにして深々とお辞儀した。それでも壹岐は笑わなかった。
「たったの七日間よ。あなたの十分の一にも満たない。それも、そのうち半分は病院のベッドの上だった。そこで事情聴取を受け、おまえ頭おかしくなったんじゃないかなどと刑事に罵倒されたけど」
「もしオレが留置されていれば、ありもしない余罪を吐かせられていたかも知れないなぁ」