車は電車通りを南下していった。百メートル道路を越え、鷹の橋をエス字に蛇行し大学前を過ぎた。急速に退いてゆくフェニックスの正門を桂はちらっと振り返った。もう一度学生に戻ることも悪くないなぁ、とふと思う。御幸橋をわたり終えるともう河口に近く、半分開けた窓から潮の香りが入ってきた。となりで壹岐が大きく息を吸い込むのが分かった。
海の向こうの町で半年間療養してきた。女性としてもっとも深刻な病がやっと癒えたのにこんどは大けがだった。つくづくついていない。みなの罪を一身に背負うつもりなのか。それとも自分のせいだろうか。壹岐にとって自分は疫病神ではないのか。さっさと壹岐の目の前から消えた方がよいということか、などと桂は自虐的に考える。しかしそれが自分や壹岐の本心ではないことを知っている。少なくとも壹岐の心は桂の背中越しにはるか彼方を見ている。
両脇に正門のなごりを残した敷地の入り口にさしかかると急に速度をゆるめ車は直角に右折した。ここからは右手におよそ三百メートルにわたって赤レンガの威容が続く。カギ型の建物の前は凸凹だらけの土の道だった。わだちにできたくぼみにタイヤが沈むと車体は大げさに揺れた。
「ここは、八歳のぼくが祖母とともに親戚を捜しにきたところだ。それ以来だから二十五年ぶりだなぁ。あまり来たくないところでね」
前を向いたまま南さんは言った。桂たちが赤レンガと呼び慣らわしている巨大な建物はかつての陸軍被服廠である。歪んだ鉄格子と鉄扉があの日を記憶している。何日間かにわたって、破壊されずに残ったここに大勢の罹災者がやってきたが、ほとんどが帰らぬ人となった。
そのあと南さんは、来たくはないところと断定したのに、日を置かずに二度ほど訪ねて来た。壹岐は一階にある番所で応接した。