「あら、しばらくね。生きてた?」

女主人のおばちゃんが声を掛けてきた。囲いの浅黄のテントのうしろで洗い物をしていた娘のまりも出てきた。

「壹岐ちゃんは?」

「遠くへ行ってしまった。おそらくもう帰って来ないよ」

桂は正直に答えた。「いま日本海を秋田に向けて北上中」たった一行添え書きのある絵はがきが一ヵ月前に届いていた。

「うわぁ、ショック。訊きたいことがいっぱいあったのにぃ」

母親に似てきれいに整った面長のまりの顔はとても白い。いつもは裸電球の赤を弾き返しているのにその顔が陰翳を帯びるほどの落胆ぶりだった。母ひとり子ひとりの家庭で育ってきた高校生のまりは壹岐を姉のように慕っている風にみえた。部活や進路のことで相談することもあった。

「いつ来るか、いつ来るかと待ちわびとったんよ」

おばちゃんも不満げであるが深く詮索はしなかった。どんなに親しくなっても一線を踏み越えない。それが仕事の仁義だと心得ている。桂は助かった。

しばらく経ってから並んで坐った金山が、

「本当なのか。知らなかったなぁ。みんな離れていくのか。壹岐さんまでも」

小声で呟いた。単なる述懐ではなくもっとなにか問いたそうに桂を見つめていた。

いたずら心から道路のど真ん中の市電の停留場に立って「うちで飲み直すか」と金山は言った。最終電車は行ってしまった。舟入橋まで一、二時間かけてぶらぶらと歩くしかなかった。それも一興だと桂も思った。

「寝そべりながらの酒だな。やがてうたた寝となる酒。いいな」

「うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき……か」

「美人で、一説によれば釆女だったといわれる小野小町だね」

わずかな食料と酒瓶の入った紙袋を脇に抱えた金山に従いて切り立った崖のような階段をのぼった。外付けの階段が揺らいでいるのかと錯覚するほど酔った身はふらついた。手すりを握っていなければ危うかった。