明け方近くなって酔いつぶれたまま寝入ってしまった桂と金山はドアが激しく叩かれる音で目が覚めた。

「お願い、かくまって」

カギのかかっていないドアが開いて男女ふたりが飛び込んできた。脳天で軽快に響き交わす小鳥の声のようだと桂はなつかしさに駆られた。だが未明に現れた小鳥たちは手負いだった。もつれるように畳の上にくずおれた。男の真っ青な額には血が幾筋か流れていた。女も男も激しい息づかいが已まない。

桂は這って入り口まで行きドアを閉めた。

「カズトよぉ、なんとかしてくれよ。いつまでこんなことが続くんだ」

うめくような声で訴えたのは男の方だった。かつて何度も壇上でマイクを両手で握りしめて演説するのを見たことがあるが名前は思い出せない。はてしのない既視感がともなうだけだった。

「君は怪我はないの?」

「薬研堀で一緒に飲んでいるところを五人ほどに襲われたの。ねらいは明らかにこの人だけだったわ」

「そこからここまで歩いてきたのか」

「走ってきたわよ。全力疾走。カズトのいるこの部屋が一番安全だと思ったから。長い橋がもどかしかった。空を飛べたらどんなにいいかと思ったわ」

女は長い髪をうしろで束ねていた。切迫した状況のはずなのに、小作りの顔はおさな児のように無垢にみえる。知り合った頃の壹岐もこんな感じだったと桂はなつかしさの正体に思い至った。

三十分ほど早く着いたので受付を済ませたあと廊下の椅子に坐った。会場となる「楓の間」の入り口には「金山和登君を祝う会」と墨書きした行灯が立っていた。受付で渡された小冊子を開くと役所の人間が書いたと思われる文章が載っていた。

《安全優良職長に対する顕彰とは、優れた技能と経験を有し、優良な安全成績をあげた職長、班長などを対象とし、実務経験が十年以上あり、担当した現場などで過去五年以上、休業四日以上の災害が発生していないことなどが条件です。全国から百三十二名が選ばれる。》

その下には金山の経歴が小さな字で書かれていた。目を凝らして読みはじめようとしたとき前に金山が立った。桂は立ち上がって握手をした。言うべきことばがすぐには見つからなかった。

「妻の道子だ」

金山は傍らにいる和服姿の女性を紹介した。桂は「はじめまして」と頭を下げた。

「はじめてじゃないですよ。一度お目にかかっているわ」

生まれたときのままともいうべきまじりもののない笑顔が甦ってきた。空を飛んで舟入橋を渡ろうとした女性だった。