伏見稲荷
こんなの、ありか? 壹岐は桂の足元に朝刊を放り投げた。他の誰もならきっと見逃すような小さな記事だった。一九七〇年二月のことである。
伏見稲荷で心中?
十日、京都・伏見稲荷大社の通称千本鳥居に若い男女がぶらさがっているのを早朝商売繁盛のご祈祷に訪れた男性が発見した。男性によるとふたりはとなりあった二基の鳥居に別々に首をかけて、すでに事切れていた。
ふたりの足元には紙切れが残され、そのうえには石の重しが乗っていた。《遺書に石、縊死?》洒落にもならんぞと男性は鼻白みながらそれを取り除けて読んだ。平地に流れ落ちた川の水が蛇行するような崩れ字で「死の詳細右の通り」 とだけ書かれている。事件性はない、未明に決行したのではないかと警察関係者は推察している。
「若い男女としか書いていないけど学生かなぁ?」
「そうに決まっているわ。いかにも当世風じゃないの。正確には学生くずれ」
「いまは、こんなカタチでしか存在意義を見出せなくなったということか」
「死ぬなんて存在への大きな冒涜だけど、関係に対してみんな自信を失っているんだよね」
壹岐は、不安定なこころをこの記事によって攪乱された様子だった。お店に出る準備をしながらおむすび形の白面の顔、その頬の下あたりに縞模様が浮き出ていた。私は大学を退(や)めてはたらく、あなたはちゃんと勉強して卒業してね、と唐突に言い出した半年前と同じ顔付きになっていた。一緒に住みはじめてすぐの頃だった。あのとき壹岐は大判のノートを二十冊まとめて買ってきた。なんの真似だと桂はむっとなった。散々暴れ、悪態もついたあとで何もなかったかのように大学に戻ることなどできない相談だった。
「意に染まないでしょうけどその方がいいと私は思うの」
壹岐が出かけたあと、もうこの頃はかつての友らがちりぢりとなって、他愛ないおしゃべりすらできなくなっていた桂もその男女に近しいものを覚えた。自分の死に一切の弁明をしないというのが「死の詳細右の通り」の心意だとすれば、それは潔い生と言えるのではないか。裏であれ表であれ、みずからが吉凶を占うコインになったような気分だった。赤い鳥居をいくつもいくつもくぐり抜ければ何か新しい発見があるように桂は思ったのである。せめてその伏見稲荷に行ってみたい。