シローは学生の頃からの仲間で運転手として付き添ってきただけだと紹介された。父母や妹の前では陽子の恋人だともまして「蓮の父親」だとも紹介されなかった。シローは、戻ってからほんものの父親になるためにたくさんの努力をした。いやそれは努力というのではなく、ただ蓮が好きで、陽子が好きだからふたりのために心も体も闊達に働いているにすぎないのだった。やがて大型免許を取って早朝深夜、全国どこへでもトラックを走らせるようになった。なぜかいま無償の愛ということばが口を衝いて出る。桂から見ればシローは一途だった南條にだんだん似てきた。蓮がシローをその方へ導いているとしか思えない。その蓮はいまや二十歳を越えた成人のはずである。あの頃は人なつっこい子供だった。桂にも壹岐にもすぐに慣れて、六畳と三畳二間だけのアパートに訪ねていくとひとしきりはしゃいで、おちゃらけた仕草もみせてくれた。夜陽子が働いている間壹岐とふたりで預かったことも何度かあった。南條を彷彿とさせるものはまだなにもなかったが、将来南條に似ていくであろうことが桂にはひそかな愉しみになっていた。しかしそこには、蓮も含めみんなとやがて離ればなれになっていくという定めが合わせ鏡のように写し出されていたのだった。当時別れの予感はあったかも知れないが、あまりにあたり前すぎてそれが悲しみの一種だなどという認識は少しもなかった。