ベンチから立ち上がって右岸を指さした。千江さんも向こう岸の夾竹桃に目を凝らした。

「あっ、花だわ。こんな時期に」

ふたりはまた歩き出し夾竹桃の列が尽きると車道に降りた。町の表示が中島町から水主(かこ)町へと変わった。海はすぐそこにある。潮の匂いがする。駅から随分離れていた。目の前には二階建ての建物があった。全体が赤と青の原色で派手やかに彩色され、それぞれの出窓の飾りはロココ調に装飾されていた。幻術を施しているつもりなのにかえって生々しさが浮かび上がるような建物だった。クランク型のコンクリートの塀に囲まれた狭いエントランスを前に千江さんは立ち竦んだ。身を隠すための囲いがふたりを誘っていると咄嗟に思った。さっきまでいた瀬戸内海の波頭に吸い込まれるように桂と一緒に入ることがいまならできそうだった。櫁柑山のいただきから入水？  そんな幻想がいったん湧いた。ここでならふたつの静物はいっとき静物ではなくなるかも知れない。しかしかりにそうなったとしても……所詮時の気ままに流されているにすぎない。千江さんはすぐに思い直した。季節はずれで無防備な狂い咲きをみせてくれたあの白い花のようにすぐに目の前を通り過ぎて元の静物になってしまう。

一時間後予約した新幹線に乗っていた。となりの席に桂が坐っている。ときおり話しかけてくるがそのことばはなぜか腑の底に届いてこない。そっと手を握ってくれる方が何万倍も有用なのにとなごりのように千江さんは思った。