羊やのショーウィンドーの前で立ち止まると壹岐は、三日前に躍動感を出そうと苦心して配置した四体のマネキンに見入った。目はそろって天を睨みつけ、前かがみの姿勢で両手を宙に泳がせている。「つぎの一歩」に道行く人の関心を惹くのがねらいだったが、改めてみるとマネキンはただ突っ立っているだけだった。そしていま物言わぬマネキンが自分にしきりに呼びかけてくる気がした。何が言いたいのか、いや何を聞き出そうとするのか。壹岐は目を閉じ、口を噤み、耳を閉ざす。すると突然からだ中のありとあらゆる穴をこじ開けるように閃光が何回も走っていくのだった。

前を見るとマネキンと壹岐を隔てていた厚いガラスが身体の大きさ分だけくり抜かれていた。四トン車が時速十キロでぶつかっても破れなかったガラスが一本の棍棒で開かれたのである。壹岐はふだんの仕事の場所へ晴れがましい気持ちで入っていった。四体のマネキンと並んで立つといままで一緒に行動してきた陽子、石崎、シローそれに桂までが単なる通行人にしか見えなくなった。マネキンと会話できるほどにも、彼らとは言葉を交わすことができない。

左腕を伝って流れ落ちる赤い血が、海の波を形象化した青白のサテンの布地のうえに絞り紋様を描くように広がってゆく。老舗の洋品店に勤めはじめ、アルバイトとはいえ宣伝のレイアウトを任されていた。やっと自分の進むべき道が現れたと思った。その道に拾い上げ、やがて正社員にしてやるよと言ってくれた直属の上司で、創業者を祖父に持つ、社長の三男坊南さんの顔が脳裡を掠める。家族的な同族会社なのに押しつけがましさはなかった。こんなことをしてしまって、独自のデザインはもう創れなくなった。壹岐は哀しい気持ちにとらわれた。