櫁柑山行

 

船着き場の脇に延びる道路を渡ると目の前に山裾が迫り出していた。上蒲刈島の縁に沿って周回する島唯一の舗装道路である。緩やかにカーブするこの道をしばらく右回り、つまり左手に海を見ながら歩いたあと、山腹を縫うつづら折りの坂道に入った。上りはじめると凪いだ海原はすぐに眼下の眺めとなった。島全体がひとつの平べったい山で、山頂一帯に蜜柑の木が植えられている。登るにつれてだいだい色に色づいたミカンが濃緑の葉の間でゆらゆらと揺れる様が目に飛び込んできた。

途中フェリーは下蒲刈島に立ち寄った。碇泊中の船のデッキに手をかけながら「川ならばわかるけれど、何を基準に上とか下とか言うのかなぁ?」と桂は疑問を口にした。かつての記憶を呼び込むように「波のやってくる方、つまりより沖にあるのが上で、波の到達する岸辺のほうが下ということかな?  川の上流、下流からの連想ですが」と言い募ると、

「ちがうと思うわ。下蒲刈島には下蒲刈町がありますが、上蒲刈島には上蒲刈町というのはなくて、島すべてが蒲刈町なの。島の名を言うときにのみ下蒲刈島と区別するために上をつけるの。一説によると、川の下流は上流よりも一般に文明が栄えているのと同じように、下の方が上よりも発展していますよと印象づけるためにわざわざ上下を付けて呼ぶのではないかといいます。地名を付ける権利のある人は経済的・文化的に勝った住民ですから、うがってみればこの場合上とか下とかは差別的ですよね」

十八の年まで過ごしたふるさとを間近にして千江さんはいつになく饒舌だった。「この旅を最後にもう逢わない」と思い決めているので、その寂しさ、その悲しみを遠ざけるために桂の前では「にわか学芸員」になっているのだった。こんなルサンチマンは巡りめぐって二人の関係にまで達していくように桂には思えた。お互い夫や妻がある身ながらこの三年間夢中になって逢瀬を重ねてきた。鳥居をくぐるように、人と神の結界を越えてしまうような予感におののく三年間だった。しかしついになにごともなかったその夢をそっくり日常に返そうというのである。