「上流社会などというときの上下とは意味がまったく逆なわけだ。面白いね。たしかに川の源流は、辺鄙な山村だものな。川の文化と海の文化は大きく異なるけど、こんなところでつながるわけか」

「ちなみに実家の地名は通称向というの。どこの向かい側かというと、この下蒲刈島の三ノ瀬です。三ノ瀬というのは古来より、海上交通の『海駅』として栄え、ここには大名、幕吏、公家などが泊まっていきました。対馬藩士に護衛されたあの朝鮮通信使も来日のたびに立ち寄っています。ここでの毛利藩による饗応が最もすばらしかったので一行は『三ノ瀬御馳走一番』と書き残しています。だから、向浦などというのも考えようによってはイヤな命名です。人口も多く、発展した町から、おまえらは向こう側の人間だよ、と蔑まれているような気になります。どちらも単なるひがみですけどね」

正式な地名が蒲刈町向浦である上蒲刈島の船着き場と下蒲刈町三ノ瀬の間の海峡はとても狭く四、五百メートルしか離れていない。千江さんの実家の持山である蜜柑山の頂をめざしていると指呼の間の三ノ瀬からはいにしえの繁盛ぶり、とりわけ江戸三百年の間に何回か往来した朝鮮通信使らの華やいだ衣装が見えるような気がした。

「この色あざやかなミカンは木々の隙間から顔を覗かせて人を驚かす妖精のようだなぁ。白い花の咲く季節もきれいだろうね。昔はいざ知らず、いまやこっちの方が栄華を極めているのではないの?」

やや息を切らしながら桂は前を行く千江さんに言った。自分でも陳腐な感想だと思ったが、千江さんはもう何も言わずに両肩を交互に上げ下げする独特の歩き方でただ背中を見せるだけである。ほとんど風はなく、そのせいで陽射しが温かく感じられるお昼前のひとときだった。東京駅六時発の新幹線に乗って、十時過ぎには広島駅に着いていた。呉線に乗り換えてフェリーの出ている広駅まできた。学生の頃東京から戻ってくるとこの線だけは変わらずに黒い煙を吐いていたと千江さんは言う。夏などはトンネルが近づくと慌てて窓を閉めた。このときはさすがにもう電化されていた。

 

むかいうら

むかい

うえした