千江さんは道路に面したなだらかな斜面に入り込んだ。茫々と繁っている下草の上にビニールの敷物を敷いた。オレンジ色のミカンがちりばめられ、たおやかに枝葉の広がった木の前である。
「ここが中学生の頃からの私のお気に入りの場所。十五歳の私、想像できる? 一度でいいからあなたと並んで坐ってみたいと思っていた」
まだ青々とした下草が自然のクッションのように尻を押し上げてくる。ミカンの木を背にして敷物の上に坐った。そこから見わたせるのは凪いだ瀬戸内の海だった。碧い色の絨毯に小さな白波が点々と飛び散っている。
「こうやって海を眺めているかぎり、ひたすらアナーキーな感じがするね」
まるでぼくたちのめざした関係のようだ、と言おうとして桂は思いとどまった。夢から覚めるのに特別の技はいらない。
そのとき背後からミカンの木の梢がざわざわとゆれ動く音が立った。同時に振り向くともう若くはない男女がかえってびっくりしたように立ち竦んだ。「あら、しばらくぶりね。帰ってきたの?」女性の顔付きが千江さんと似ていた。男性は千江さんに軽く会釈したあとは桂の顔を一心に眺める。
「母たちには内緒にしておいて。余計な心配させるのがイヤだから。今日中に東京に戻るのよ」
千江さんは二人が去ったあとに、
「叔母さん夫婦よ。地続きにお家があって、ずっと昔から家族同然。あの人は母の妹なの。典型的な母系家族なのよ」
千江さんのお気に入りの場所からはつづら折りの坂道をふもとの起点まで見通すことができた。途切れ途切れに消えたり現れたりする一本道だったが、このときもゆれ動くふたつの頭だけが最後まで残り、やがて視界から消えていった。四囲どこからも見える海を見おろすたびに桂は背筋に寒気が走っていくのを覚えた。これはかつてどこかで見たことがある景色だと思った。遙かなる既視感とでも呼びたくなるような思い出がこの風景のどこかに潜んでいる。
わざ
デジヤブ