色づいたミカンをいくつかもいで食べた。すべて温州ミカンだと千江さんは教えてくれた。酸味がなく甘かった。何百本と知れない頂の蜜柑の木を隠れん坊をするようにひと通り経巡ったあとに戻って来ると「踊りましょうよ」千江さんは唐突に立ち上がった。

遠く、波の音と風の音が踊りを促した。盆踊りのように、蜜柑の木のまわりを手を交互に上げ下げし、足を代わる代わる蹴り立ててたったふたりの列が進んでいく。やがてひとつに溶けていく心地がする一方で、踊りまわるほどに千江さんとの距離が開いていくような気がした。七十年代の初め頃、原色のスポットライトが交錯する店内でゴーゴーダンスを踊りながら「捨てろ、自意識を捨てろ」と大声で叫んだ友が思い出される。低い天井にこだまする大音響に負けていなかった。桂らはまだ二十歳そこそこだった。

二十歳過ぎる頃まで三年間一緒にいた壹岐は桂の元を離れた。日本海沿いの鉄道に飛び乗って厳寒の秋田をさまよったあと男と京都で落ち合った。そこで出直すつもりが、ことごとくが裏目に出て、二人は男の実家の屋代島にいったん落ちのびた。その島は蒲刈島とは海続きで西へ五十キロと離れていない。

いきなり踊るのを止めて千江さんを引き寄せた。すぐ前に、包み込むような優しい目があり、何か言いたそうな厚い唇があった。これらがもう実見できないとは信じられないことだった。千江さんは赤子をあやすように背中をぽんぽんと叩きながら桂を押し戻した。

「あなたを男にしてあげられなかった。ごめん。もう私はこの世のどこにもいないと思ってね」

 

*次回は六月一日に掲載予定