三角地

 

 

桂は週五回丸善でアルバイトをはじめた。通りを挟んで羊やの斜め前にある丸善も家族的な職場だったが、地場に生まれ育った羊やとちがってこの老舗には殿様商法を地で行くようなところがあった。

シベリア帰りの無口な矢野老人の元で本の荷造りと発送を手伝った。体も頭もあまり使わない仕事だった。社員通用口の脇にある守衛室を改造したような小さな部屋が仕事場で、連絡を受けると三階の外商係のところまで本を取りに行く。この係は近隣四県にある十数の大学との取引がメインだったので洋書と分厚い学術書を扱っていた。社員から渡されるのは段ボール何箱かのときも、たった数冊のときもある。自分から持ってきて発送を依頼する社員もいた。ついでに不平やら不満やらを呟いて、他愛ない世間話をしていく。発送室に来ることが息抜きになると公言する社員もいた。

休憩時間には一、二階の売り場を歩きまわった。カバーをかけることを条件に本棚の商品である新本を借りて持ち帰ることができるからだった。仕事場は辺境ともいうべきビルの裏口にあったが、社員たちとの接点は多く、一ヵ月も経つとすべての人と知り合いになりことばを交わすことができるようになった。

矢野老人は何事も自分でやらないと気が澄まない性格だった。おまけに几帳面だった。とりわけ包装紙の折り目にこだわった。二重三重のしわを極端に嫌がった。桂がうろ覚えのまま慣れぬ手つきで包んでいると無言で取り上げてしまう。見るに見かねてというのではなく酷薄なところがあった。はじめのうちは腹が立つこともあったが、それはシベリア生活の後遺症であり、怒ってはいけないことかも知れないと桂は思い直した。抑留されていたと自分から話したがその生活がどんな風だったかは口を閉ざしたままだった。十年にも及んだ苛烈な日々は想像することもできない。恃むのは自分のみ、その自分は明日をも知れぬ命を日毎更新していたのだろうと思うのみだった。生きて日本に帰れたこと自体が奇跡に属する。

あるとき、人品骨柄の見極めがついたというように矢野老人の細い目から猜疑心が消えていた。相変わらず小うるさく、細かいことでよく注意するが矢野老人は桂を可愛がるようになった。祖父のような矢野老人に桂もなついていった。

「覚えが早いなぁ。芸は身を助く、というから、こいつは将来きっと役に立つぜ」

通りすがりに桂に声をかけてきたのは書籍課長の上岡さんだった。段ボール箱にひもを掛けたあと締めて結び合わせるところにコツがあり技術が要った。矢野老人直伝で覚えたばかりだった。そのことを言っているのである。四十歳くらいの上岡課長は顔はいかつく、偉丈夫な体つきをしていた。声も大きかった。発送室の前を通って昼食に出るとき必ず何人かの部下を引き連れている。「人望があるというよりは、本流を歩いているから権力のまわりに人が集まるということね。社内では敵も多いのよ」と文房具売り場にいる明代が冷ややかな物言いでこっそり桂に教えた。