お昼の休憩時間にとなりのビルの三階にできたばかりのフランスカフェに明代と行った。全面ガラス張りの窓際の席から見下ろすと、本通り商店街とこの路地とがくっきりとした三角地として眼に飛び込んできた。アーケードのメイン通りを歩く人たちは滅多に路地に入ってこなかったので、彼らの姿がプリズムをすり抜ける光りの筋のように見えた。それが丁字路を三角と感じた理由だった。

「どうして丸善だったの?」

「それはきっと檸檬のせい」

「なるほど考古学的だ」

明代は急に背筋を伸ばすようにして桂をみつめた。小さな作りの顔が間近に迫ってきた。

「なぜ知ってるの?  誰かに聞いた?  松村さん?」

こんどは桂が驚く番だった。しばらく無言でにらみ合ったあと明代はあっさりと種明かしした。

「直感によってあなたはわたしの専攻を当てたのね。ビックリ仰天。大塚初重先生のゼミにいたの。考古学といってもわたしはフィードルワークがいちばん好きだった。実習だけで卒業できるのならどれだけ幸せかと思った。遺跡の発掘調査はいつもワクワクしたわ。土器のかけらなどが出てきても出てこなくてもかまわない。掘ること自体が性に合っていたんだと思う」

五歳年上だったから学生時代の明代は全共闘運動を経験していない。六六年に丸善に入り、日本橋の本店に配属されたが、三年目の春にふるさとの支店への転勤を希望した。赴任してみると、本店よりも格段居心地がよかった。そのあとほどなくして運動は終熄しセクト間の抗争や組織内部の総括という名の殺人、爆弾による無差別テロが五月雨的に起こるようになった。多少の責任やら負い目やらを感じていた桂とちがって、すでに社会人だった明代はあからさまに嫌悪感を持ち、批判的だった。三角地を指さして、

「この街に戻ってきたころあそこでカンパ活動をする学生をよく見かけたわ。佐世保から成田、沖縄へと連呼する地名が変わっていった。独特の尻上がりの抑揚がいまも耳に甦ってくる。前を通るたびに五百円、千円とカンパしたものだった。何もできない自分への言い訳みたいな気もしたが、全共闘に対するシンパシーがあったといまは思うわ。

いつの間にか彼らは消えてしまったけれど、あのころ、といってもたった二年前だけど、どこかにまだ人間の匂いというか泥臭さが残っていた。あなたもあのころはカンパをお願いする側のひとりだったんでしょ?」

桂の顔に遺跡が隠されているとでもいうように明代は桂を凝視した。図星をついて得意げであり、昂奮もしている。学生時代の実習を思い出しているのかも知れない。

「比喩としてなら、そうともいえる」

ひねくれて言うと、

「そんな言い方あなたには似合わないわよ。もっと縄文的にならなきゃ」