「あら両手に花? 意外と持てるのね。わたしの居場所はどこかしら?」

明代は用事があって発送室にきたのではなかった。息抜きのために、桂の顔を見、桂とおしゃべりをし、カフェで話題にのぼったジャズ喫茶に行く日を決めるためにやってきたのだった。それは第六感に促されたとしか言いようがないタイミングだった。

「こちらは壹岐、わたしは陽子です。よろしく」

「あら、あなた方の苗字は?」

「あるけど、特にわたしは言いたくないの。ごめんなさい」

こんなかたちで壹岐と明代が遭遇するなどと桂は思いもしなかった。

 

丸善で覚えたひも掛けの技術は上岡課長の予言通り役に立った。三年後東京で小さな出版社に勤めたとき、取り次ぎに発送するダンボール箱のひも掛けを志願すると重宝がられた。特別手当もつけてくれた。次の印刷会社でもヒモ掛けはすべて桂に回ってきた。悪い気はしなかった。さらに勤め先が変わっても新聞・雑誌の類や不用になった教科書、参考書を束ねて縛る役目を買って出た。その都度上岡課長の顔が思い浮かび「これも芸のうちなんだぜ」と似せた言い方で人知れず呟いていた。

一九八七年六月一日付けの朝刊に、「オートマ車暴走、二人死亡六人けが、東京・府中競馬場近く」の見出しで三段抜きの記事が載った。「死んだ人の一人は丸善取締役の上岡義昌さん(五八)とわかった」とあった。事故があった三十一日は第54回ダービーが開かれる日で、早朝から商店街の狭い通りは競馬場に向かう人であふれかえっている。そこへアクセルとブレーキを踏みまちがえた車が迷走しながら突進していく。上岡さんは自身の災難を桂のヒモ掛けのようには予見することができなかった。それは仕方のないことだったが、居合わせた大勢の通行人の中で、はねられて命を落とす人がなぜ上岡さんでなければならなかったのか、その理不尽さに桂は慄然とした。出逢ったあのときから十六年が経っていた。