数日経つと壹岐は、

「あなたは私をだました。あのことを本当には許してくれていないの?  さっさと明代さんのところに行けばいいよ。あの人はあなたに惚れている。私かあの人かどっちかに決めて。まだプラトニックな関係というのがとっても胡散くさいけど」

などと桂を攻め立てた。矛盾だらけの中身に仰天したが、元の原因は自分が作ったものである。壹岐を責めることはできない。

「ぼくはきみと生きていくと決めたんだから」

「嘘だわ。ウソに決まっている」

「見透かすようにそこまで断定するなよ。らしくないよ」

二十年も経ってから、あのとき夜行列車の中でとなりに坐った女性が千江さんではなかったかと思ったのである。単なる予感にしては重く心を塞いだ。荒唐無稽なことで、袖すりあうも多生の縁みたいな出来事をいちいち覚えている人なんていないわよと一蹴されるのを覚悟で蜜柑山からの帰り道思い切って訊いてみた。ここを逃せば機会はもうなくなってしまう。この期におよんでそんな遠い縁をなぜ現在に甦らせたかったのか桂にはわからなかった。

「そうよ。わたしよ。手を握ってきたあなたをよく覚えている。なんて不躾な人だろう。わたしにはおばあちゃんのことしか頭になかったので、されるがままになっていた。でも、悪い気はしなかった。象徴的に言えばあういう関係のつけ方があの頃の桂のすべてだったのね」

桂の心中を代弁するように千江さんはさらに言い募った。

「あなたの祈りのおかげでわたしはおばあちゃんの死に目に逢うことができた。桂とは生まれる前から赤い糸で結ばれていたのだとわかったわよ」

これっきりでもう逢えないというのも赤い縁のうちと言いたいのかも知れない。千江さんは別れに際して茶目っ気たっぷりに一世一代の嘘を吐いたのだった。