采女
東西に走る鉄道を放物線を描くように高々と跨ぐ橋のてっぺんに来たとき、前方に大きな旗のゆらぐのが見えた。人の頭の上で木綿製の赫い絨毯が地面からの風に煽られて空(くう)を裂いている。
旗まで二、三百メートルと迫ったところで車を減速させた。間近にみると旗は予想以上に大きく、畳二枚分ほどもある。旗を振っているのは紺色の制服を着た若い男だった。口のまわりに不精髭を生やし、角ばった顎はヘルメットからはみだした金色の髪に覆われていた。まん丸い眼にあどけなさが残り、どことなく優しげな表情をしている。男は自在に旗を操り、中空で旗自身が巻きおこす風を気持ちよさそうに頬に受けとめていた。
桂は男のすぐ傍に車を寄せていった。旗の端がフロントガラスを掠めた。踏鞴(たたら)を踏んだ若い男はいまにも倒れそうになった。
ハザードランプを点滅させながら工事現場のすぐ手前に車を停めた。黒いけむりを吐き続けるミキサー車の回りで五、六人の作業員が掘削機を使ってコンクリの路面を掘り返している。旗の先端で地面を掃くようにしながら若者が近づいてきた。
「なんでこんなところに止まるの? 危ないじゃないっすか」
「いまどき旗なんてめずらしい。二十年前の友人で、いまだ所在不明の南條君を思い出したんだ。なつかしくなって引き寄せられた。邪魔かい?」
「当たり前だよ。だからこうやって、重い旗を振って、避けてくれぃ、寄るなぁ、と言っているんですよ。それに二十年前といえば、ぼくはまだ生まれたての赤ん坊ですよ。そんなくだらない理由で、わざわざ車を寄せてくることないでしょ。南條君だって? ぼくの知ったことじゃないよ」
掲げるだけでも大きな力が必要とされるのに、まして何時間も振り続けるとなれば並みの体力では務まらない。弱々しげなこの若者のどこにそんな力があるのか不思議だった。
「ひとりでずっと振っているの? 代わりの人はいないの? 君は学生?」
矢継ぎ早に湧く疑問だった。訊かずにはおられなかった。
「余計なお世話ですよ」
「おーい、何してるんだ」
十数メートル前方から胴間声が響いてきた。白いヘルメットを被った恰幅のいい、顔に艶も張りもある中年男である。怒られているのは目の前の若者であった。
「しっかり振らんかい。車が突っ込んでくるだろ」
「ちぇ、監督風を吹かしやがって。もともとあんたのせいだ。同じ車種だから最初はオヤジかと思ったんだ。追いかけてきて損をした。さぁ、行った行った」
若者は急になれなれしい口調になって言うと元いた場所に素早く戻り再び旗を振り始めた。オヤジだって? 奇妙な錯誤感におそわれながら右側の車線に出た。