その若者が赤ん坊だった頃、街のど真ん中では人と車の流れをせき止めるようにして色とりどりの旗が闊歩していた。デルタの街なのに意外にも多くの坂があり、上り下りの土の息吹をそれぞれ靴底に感じながら桂は旗のあとをついて歩いた。デモの隊列と機動隊とに挟まれて意気揚々と旗を振っていた南條は、ビルの隙間から射し込む夕陽を受けて、頬をいっそう赤らめ、ひるむなー 大きな声をだしぇー 国家権力の手先をくずしぇー、と叫び立てていた。寡黙でよこしまなものがなく、策を弄することができない男だった。入学してすぐの頃、同じ寮仲間の大坪と三人で山に入って三日間テントで過ごしたことがあった。三日間とも霧に包まれた雨もよいの天候だった。テントの中で顔をつきあわせている時間が長くなったが話が尽きても飽きるということはなかった。こちらの話しぶりに応えてにっと笑うその表情がなんとも言えず人なつっこかった。そのときから三年近く経って、機動隊が大学に立て籠もっていた学生を排除し、二十三名を逮捕した。その中に南條もいた。拘置所から出た直後に南條の姿は桂たちの前から忽然と消えた。故郷に帰ったという者がいた。薬研堀あたりで年上の女と腕を組んで歩いているのを見たという話も聞こえてきたがどれも噂の域を出なかった。
南條の居所を探しあぐねた陽子は桂のところにやってきた。南條は神隠しにあったように見事に痕跡を消していた。大坪は「あいつの性分からして、ほっといてくれ、ということだろう」と諫めたが陽子は毎日毎夜この街での二年半の南條の足跡を辿るように因縁のある場所を歩き回った。やがてよれよれのコートにハンチング帽という恰好の中年男が陽子のアパートのまわりをうろつきはじめ、ついに尾行するようになった。あれは公安だ、と教えても陽子は怯まなかった。ときどき一緒に探し歩きながら桂はこんなにも他人の所在に躍起になる陽子に少しずつ魅かれていった。
南條の両親はただ追い返そうとするだけで、いるともいないとも、居所を知っているとも知らないとも、何も教えてくれなかった。柳川から戻ったばかりの陽子は報告した。花の盛りが終わったあとも夾竹桃は剣先のような枝葉を天に向けて悠然と立っていた。川べりの堤防の上でこれまでの疲れを一気に吐き戻すようにして陽子は号泣した。