まるで小鳥のようだった。あらためて陽子を眺めると、目が左右に大きく開き、平板な顔付きだった。おちょぼ口だけがとんがっていて、二種類の声を持っていた。話し言葉は低く嗄れているのに、笑うとき、人を呼ぶとき声が一段と甲高くなった。それが同志とたわむれるさえずりのように聞こえた。いまは木の葉の上で危うくバランスをとるはぐれ雀だった。

やがて涙を拭いながら陽子は言った。

「私の苗字は采女なのよ。誰もがもうそのことを忘れて、私のことをうねめさんとは呼んでくれない。生存の根に刻み込まれた自分の役割をせっかく果たそうとしているのに、南條さんはどこかへ行ってしまった。あなたもやがて私の前から消えるわ。みんないなくなってしまう、最近はそんな予感に苛まれ、哀しい。この子だけはどうか私を裏切らないで欲しいわ」

ふたつの掌で下腹を撫で回した。その仕草の意味を理解するのにしばらく時間がかかった。小鳥が身籠もる?  桂は立ち往生する思いだった。あのとき壹岐はどこにいたのだろうか。噂は届いていたはずだったが、いまや色あせた写真が挟まれところどころ欠けたアルバムを眺めるような心地で耳を傾けるだけだった。あるいは陽子はそんな桂にあなたも必死になるべきだと身を賭して教えてくれていたのかも知れない。いや実際は、壹岐がいなくなったのはそれから一年ほどあとだ。壹岐と陽子のふたりが桂の中でいま同期するのは二十年も昔のことだからだろう。

いつしか机の前にかな子が立っていた。さっき出逢った大きな赫い旗のことを話すと、

「あら何の縁起かしら。きっといいことがあるわ。あるといいね」

と笑った。旗を振っていた若者よりも少し上だが、この子もまた邪心のない、まっすぐな性格をしている。桂の前で学芸員の資格を取ると公言した。「何か手伝えることがあればいいのだけどね」と言うと「いいです。これは自分とのたたかいですから」と返した。年の差がはるかなものに感じられるのが残念だった。「ちびたちがやってくる前に教室掃除してきます」場末の塾でのバイトが肥やしになるか、それとも立ち往生か、かな子自身がこの先々に判断することになるのだろう。あのときの陽子の立ち往生は新たな出発の機縁となった。お腹の中にいた子どもとともに生き延びることができた。

 

*次回は七月一日に掲載予定