緒言=「定見」~詩を読むのを書くことのために~

 

                           壱 はじめ

 

はじめに

いまも(筆を執ろうとしている現下も)定見が得られていないのである。「定見」とは、辞書を引くまでもなく「しっかり定まった見識、意見」であるが、ここで言うのは、同じ見識・意見であっても、定まった位置からのそれのことである。それが見出せないのである。勢い、見出せないことに起筆の動機を得ようとしている始末である。

なにか書いてもらいたいと要請を受けたとき(依頼は極めて鄭重なものであったので誤解を招いてはならないが)、はたと思ったのがこの「定見」である。自由気儘に書きなぐっていたときには(現在進行形であるが)、用語としても存在しなかった語彙である。なにを書いても構わないし、評価に縛られることもない。責任がないからである。そういう意味では今回も自由に書いてもらえればよいと言われている。「定見」は要らないかのようである(それではいかにも失礼である)。

それが逆に依頼を受けた者を迷わせるのである。定位置に結びついたそれであるかぎり、「定見」とは定位置如何に関わるのである。「定見」と言いながらも、要は「定位置」なのである。詩についてなにか書く上での定まった位置である。それがないのである。本Web誌のホームを一瞥すれば、思いはますます募ることになる。詩に関する限り創作者でない筆者の場合、いかなる立場から書こうとしているのか、参加しようとしているのか、同じような立場であっても、詩との内的関係性から各々「定見」を吐きうる精鋭の集うこの詩誌にである。席に座るのは容易い。でも「定見」のないままでは座りが悪いのである。それより申し訳ない気になってしまうのである。

このように内心を露わにするのは、この気がかり(「定見」)が、たんなる前提的なことでなく、すでに詩論に踏み込んでいることを予見するからである。副題が、いささかまどろっこしいほどの言い回しになっているのもそのためである。作り手ではない読み手の、読むだけで(味わうだけで)終わらずに、書くに及ぶに当たっての、具体的経緯を逐語的に語釈したものであるが、それが個人的問題からひろく一般論として普遍的意味を有するためにも、ひとまず「定位置論」が戦わされなければならない。連載を開始するに際しての緒言とするものである。

 

 

1 批評論瞥見

 

立ち位置の異同 ここに、「定位置論」をひたすら作り手(書き手)の立場から深く問う一文がある。まず同文によって、「定見」の足場確保を進めていきたい。大岡信による玉稿(大岡一九八五)である。

同文中には、まさに「詩を読むということは」がある。かりに同文句を㈠とし、さらに関係箇所を拾い上げると、㈡「詩を書くということは」、㈢「批評というものは」、あるいは㈣「詩を書いたり評したりすること」があり、バリエーションとしての㈤「『詩論』とよんでもいいもの」、㈥「なぜ詩を書いているうえに小説も書かなければならないのか」、㈦「詩、小説、評論が同一人の内部でどんな連関をなしているのか」がある。㈤~㈦の内、とくに㈦は、大岡信の問いの核心を構成する。

ここで筆者が拠るべきは、いうまでもなく㈠である。しかしそのまま借りること、借りて一体化することはできない。㈠~㈦いずれの場合も、立場的に詩人を前提として発議されているからである。㈥は飯島耕一に、㈦は清岡卓行に発する設問である点で直接本人に関係するものではないが、小説を書かないからと言って大岡信にとってたんなる周辺事項なわけではない。むしろ類縁者たちを介した自分の問題になっていたはずである。

㈠ではこう語られる。「詩を読むということは、一対一の孤独な対面、出会いを求めている詩人と対読者の、面と向かっての精神的交渉」であると。記述の仕方からも分かるように、これは書き手という立場を仮置きした状態での、詩人の立場を主語とした「詩を読むということは」である。「出会いを求めている」と、いささかあからさまに綴るのも、書き手(実作者)だからこそ唱えられることである。読み手が口にすれば、熱い心の若者ならいざ知らず、筆者のような歳嵩のいった者にはそうはいかない。

たしかに「一対一の孤独な対面」であるかもしれない。しかし「面と向かっての精神的交渉」ではないはずである。任意の顔であっても最初から彼に個人的関係で臨み、思いの丈で精神的な交渉ができるのは、書き手故だからである。それが読み手では面と向えない。詩集の先の詩人とは、読み手にとって個人的関係の彼などではないからである。総じて最初から㈢として㈠を開始できる書き手(詩人大岡信)とは、㈡~㈦は言うに及ばず、㈠のあり方でも同じ位置に立つことはできなのである。立ち位置は異なるのである。

 

壱 はじめ(いちはじめ)1950年生まれ。詩論集「北に在る詩人達」、音楽論「バッハの音を「知る」ために」など。ブログ:http://ichihajime2012.blogspot.jp/  ツイッター:https://twitter.com/hawatana1

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