「選者」 それが思いがけないところで立ち位置を通じ合うことになる。「選者」である。「三」に当たる章である。一文は、時期を違えて別々に書かれた四編(一九六七~七〇年)を一つに編んだものである。当該章は、大岡信の選者体験談である。元になったのは、戦後詩人アンソロジーの最終巻(戦後詩人編)を担当した折りの選者体験である。

選者として、「五〇人近くの現代詩人の詩集を読み、そのなから一人につき数編ずつの作品を選び出し」、さらに詩人ごとに「小論」をまとめる作業に没頭したのであった。同文は、その体験を、そうすること(選出し小論すること)の至当性を内省的に綴っていくのである。まずはアンソロジーを編む。まだこの段階では読んで選ぶだけである。それでも戦後詩を見渡せるまたとない機会との実感は高まる。やがて「総体としての戦後詩の水準の高さと、かなりの数の詩人たちの詩の、疑う余地のない深い魅力を確信する」に至る。「そして同時に」と改行形で書き起こし、「大切なことがあった」と続くのである。選者認識の一新である。機会的な作業ではなかったのである。次は内省の中核部分である。

 

私はある作品を選ぶことによって、私自身がたえず試されているのだし、実感からいうと、むしろ私自身をたえず選びとっているのだという感じであった。(同二二二頁)

 

そして、この認識の一新の上に「小論」の筆を執ることになる。

大岡はここに至って「批評」という言葉に思いを傾ける。いままで無意識に使っていたその語彙が一新される。「自身の選びとり」に誘発され契機とした、一行為としての「批評」をそこに見、目を見開かされる。批評の中の自身に向き合わされるのである。そこに見た自身――「ある詩人について書いている私自身」の姿についてこう語る。「ただ一度も、私自身が明確な不動の物差として相手を測定しに出かけるという感じはなかった」と。「不動の物差」とは、最初からの決まった「私自身」である。既定の自分自身を以ってすることなどなかったと綴るのである。「相手が変わると同時に私自身が変化するのであって、当然私はつねに新たな関係を一回ごとに組織してゆかねばならない」のである。故に「『私』というものは、変化がその恒常的性格であるところの『関係』というものに条件づけられ、形成されるものとしてのみ存在する」ことから、「批評というものは、そういう営みの最も原形的な関係形式を、ある一人の精神的行為を通じて明らかにすること」であるとされる。不動の批評原理である。

要するに「(大岡信の考え方と)通じ合う」とは、選者という一見能動的な在り方が、実は受動的なものであったことによる。読み手の在り方と奇しくも重なるからである。読み手とは、一義的に受動的なる者の別名である。この重なりは、「定見」への道を切り拓くものである。しかし簡単には導いてもらえないのである。大批評家小林秀雄の「困難」を顧みなければならないからである。受動性の問題は、批評とはなにかをだれよりも深い内省として問い続けた、小林秀雄の生涯的な、苦悩をさえ伴う課題だったからである。

壱 はじめ(いちはじめ)1950年生まれ。詩論集「北に在る詩人達」、音楽論「バッハの音を「知る」ために」など。ブログ:http://ichihajime2012.blogspot.jp/  ツイッター:https://twitter.com/hawatana1

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