ジイドのエピグラフ 小林秀雄の批評原理の出発点は、氏が『改造』の懸賞評論に応募し第二席を得た、人口に膾炙した「様々なる意匠」(昭和四年、二七歳時)である。同論にはエピグラフが立てられている。やはりジイドである。

 

懐疑は、恐らくは叡智の始めかも知れない、然し、叡智の始る處に藝術は終わるのだ。                                           アンドレ・ジイド

 

叡智とは批評のことである。したがって批評で「芸術は終わる」ことになる。極論である。極論を承知で立てている。承知なのは、逆説的に一文を開始させようとしているからである。叡智に拠ることを自己否定として読み聞かせようとしているわけではない。次は逆説の延長に書かれたものである。

 

文學の世界に詩人が棲み、小説家が棲んでいる樣に、文藝批評家といふものが棲んでゐる。詩人にとつては詩を創る事が希ひであり、小説家にとつては小説を創る事が希ひである。では、文藝批評家にとつては文藝批評を書く事が希ひであるのか? 恐らくこの事實は多くの逆説を孕んでゐる。(全集第一巻「様々なる意匠」の「2」、以下同じ)

 

それでも傍線中の「逆説」を文意に沿って読み解くのはなかなか至難である。一文の本旨を衝いた用法ながら、後続文でもその解説には向かわない。あたかも後年の「自己否定」を密かに予見しているかのようである。批評家の安立を脅かす態の逆説であるのか、それともその上での可能性に言及しようとしているのか、取り方次第で正反対の批評家像に向き合わされることになるが、それでも「様々なる意匠」は、エピグラフ(=反批評)の克服を目指したものである。後者ととってよいのだろう。

アンドレ・ジイド

ここには、同懸賞論文によって批評家として認められ、やがて「職業」と化して、文芸時評等を介した社会的関わりの体験を経た先に、「批評」の批評を強めるようになる以前の、自己肯定的な小林秀雄がいる。やはりエピグラフは逆説として立てられたものである。一文の趣意は能動性にある。事実、叙述態度も能動性に偏向気味である。傍線部分も調子付けを兼ねていたのであろう。

次はボードレールを引き合いに出し、ボードレールによって高まる論調にさらに弾みをつけたくだりである。その結語部分である。

 

彼の批評の魔力は、彼が批評するとは自覺する事である事を明瞭に悟つた點に存する。批評の對象が己れであると他人であるとは一つの事であつて二つの事でない。批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!

 

あるいは、ゲーテを引き合いに出して断定的に語るところがある。

 

ゲエテが普遍的な所以は彼がすぐれて國民的であつたが為だ、彼が國民的であった所以は彼がすぐれて個性的であつたが為だ。範疇的先験的眞實ではない限り、あらゆる人間的眞實の保證を、それが人間的であるといふ事實以外に、諸君は何處に求めようとするのか? 文藝批評とても同じ事だ、批評はそれとは別だといふ根拠は何處にもないのである。最上の批評は常に最も個性的である。そして獨斷的という概念と個性的という概念とは異なるのである。

 

そして結語へ向け覇気を強めていく。ここで核をなすのは、「驚く可き事実」とされた、いささか勿体ぶった一言である。再びの逆説である。こう云う。

人は樣々な可能性を抱いてこの世に生まれて來る。彼は科學者にもなれたらう、軍人にもなれたらう、小説家にもなれたらう、然し彼は彼以外のものになれなかった。これは驚く可き事實である。

 

逆説とするのは、「驚く可き事実」と言いながらも「自明の事実」を裏に隠しているからである。つまり、「彼は批評家以外のものになれなかった」を隠し、かつそれを一人の個人の限界性として他人事風に綴ってみせているのである。限界性を「驚く可き事実」と観想するとき、そこにあるのは逆説による自己救出であるが、主従関係の貫徹は、再び正面からの攻略法で自己肯定へ向けての道を切り拓くことを彼に許す。手法としては、「相手方」をまず立てることからはじめられる。「この人間存在の厳然たる真実は、あらゆる最上芸術家は身を以って制作するという単純な強力な一理由によって、彼の作品に移入され、彼の作品の性格を拵えている。」最初から肯定される芸術家の再認定である。その裏にそうでない「彼」(自身)を立たせるための芸術家讃美である。次は自己措定へ向けての理由づけである。

そのとき見出したのが、絶対的で宿命的な生命を生きる芸術家達の「種々の色彩、種々の陰翳」であった。そのなかでは彼らも絶対ではなかった。絶対値を目標とする科学者の発見と作品は違うからである。色も単一でなければ陰もあることへの注視である。この科学との違いから「思う処を抽象する事が出来る」のである。それが芸術作品だった。そこからの受け取りであった。ただし抽象し切れないものからのしっぺ返しを伴った受容だった。これも作品の全き性によるものである。

彼の抽象から残されたものが、やがて彼の抽象を動揺させ、彼を無力化の前に立たせる。しかし引き戻されるのではない。知らなかった地平や高さに連れ出され立たされる途惑いである。無力化もまた形を変えた抽象である。かかる抽象による抽象の更新は、思考内の「彷徨」ともいうべきものである。「彷徨」は次のように意義づけられる。批評の根拠としても読めることになる。

 

この彷徨は恰も解析によつて己れの姿を捕へようとする彷徨に等しい。かうして私は、私の解析の眩暈の末、傑作の豊富性の底を流れる、作者の宿命の主調低音をきくのである。この時私の騒然たる夢はやみ、私の心が私の言葉を語り始める、この時私は私の批評の可能を悟るのである。

 

「騒然たる夢」がやむとは、抽象と抽象との更新あるいは再編が止むの謂いである。やめられるのは、芸術家(創作者)の言葉から自分の言葉が生まれるからである。自分の言葉への逢着を得て批評原理はひとまず結論を迎えるのである。そして次の独白(「最後の逆説」)に至る。

 

扨て今は最後の逆説を語る時だ。若し私が所謂文學界の獨身者文藝評論家たる事を希い、而も最も素晴らしい獨身者となる事を生涯の希ひとするならば、いま私が長々と語った處の結論として、次の樣な英雄的であると同程度に馬鹿々々しい格言を信じなければなるまい。

「私は、バルザックが『人間喜劇』を書いた樣に、あらゆる天才等の喜劇を書かねばならない」と。

 

以上を批評原理の土台に据えて確たる信念とし、また前置きとして続く各章では、「激白」に勢いづけられて芸術(文芸)への鋭い切りこみとなる。果敢な筆である。エピグラフは疾うに克服されたかのようである。

壱 はじめ(いちはじめ)1950年生まれ。詩論集「北に在る詩人達」、音楽論「バッハの音を「知る」ために」など。ブログ:http://ichihajime2012.blogspot.jp/  ツイッター:https://twitter.com/hawatana1

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