「批評家失格」 それが早々に翳りを浮かべた言葉を連ねるようになってしまう。驚句集ともいうべき「批評家失格Ⅰ・Ⅱ」(全集第一巻)が綴られたのは、「様々なる意匠」のわずか二年後(昭和六年)である。集中、ときにペシミステックな言辞は、評論家たる自身を自己否定的な自虐者と化していく。いくつか拾ってみよう(末尾の番号は筆者)。
若し人間の精神が、人間共有の物差に過ぎぬなら話は樂だ。だが精神とは、われわれの頭の中に棲んでゐるやつぱり心臓をもち、肉體をもつたもう一つのわれわれだ。精神が物差になる時は、この分身が退屈な一役を振られたに過ぎぬ。(一)
批評家が、作家の私生活の端くれを取り上げて、眞顔になつてものを言う。何んと廣大無邊な計算に首をつつこむ事か。奴さんそんな事とは露しらず、目つけものでもした氣でゐる。犬の川端歩きよろしくだ。(二)
この世の眞實を、陥穽を構へて、捕へようとする習慣が、私の身について此方、この世は壊血症の歌しか歌はなかつた筈だつたが、その歌は、いつも私には、美しい、見知らぬ欲情も持つてゐるものと聞えたのだ。
で、私は、後悔するのが、いつも人より遅かつた。(三)
(一)は、まだ穏やかなイロニー程度である。掲げたのは「物差」が見出せるからで、上掲大岡信の「物差」を思い浮かべたためである。(二)は、ずばり自虐的なもの。(三)も(一)に準ずるが、小林秀雄お得意の逆説性に富んでいる分、より全体的な響きを得ている。
このときも「主従関係」は、自己否定を肯定的に容れる彼の安定剤の役目を果たす。受動性の中での定位感の確保である。しかし、呑み続けることなしにはいられない、同じ常備薬でも習慣性のある薬物性の強いものである。やがて一人の天才を通じて服薬から解かれることになる。
長編批評の誕生である。「はじめて批評文に於いて、ものを創り出す喜びを感じてゐるのである」(「再び文芸時評について」全集第三巻)とした、ドストエフスキイの長編評論である。小林批評世界が切り拓いた批評的叙述の一つの可能性であるかもしれない。しかしこう語るのである。
ドフトエフスキイといふ歴史的人物を、蘇生させようとするに際して、僕は何等格別な野心を抱いてゐない。この素材によつて自分を語らうとは思はない、所詮自分といふものを離れられないものなら、自分を語らうとする事は、餘計なといふより寧ろ有害な空想に過ぎぬ。無論在つたがまゝの彼の姿を再現しようとは思はぬ、それは痴呆の希いである。(「ドフトエフスキイの生活」序(歴史について)全集第五巻)
当初の批評原点として見れば、手放しで受け容れることはできない断言である。ここには、副題にもある「歴史」観に対する深い省察とそれによる確信的な口調が、主従関係以外の要因となって、評論行為のための内燃力を高めているので簡単には論評できないが、それでもそれが所詮、新薬がもたらした効能にすぎない点、相変わらず薬物療法の継続である点では以前に違わない。受動的なものか能動的なものなのか、受動も能動もないところのものなのか、あるいはともに捨て去ったところに立っているのか、いろいろに思いめぐらせなければならないが、それ等のいずれでもないのかの見極めも含めて、「新薬」は批評原理の行方をも左右するのである。差し当たって必要なのは、同じ問題でもそれが文芸時評に臨む態度に影響していることである。この点に限って言及してみたい。
壱 はじめ(いちはじめ)1950年生まれ。詩論集「北に在る詩人達」、音楽論「バッハの音を「知る」ために」など。ブログ:http://ichihajime2012.blogspot.jp/ ツイッター:https://twitter.com/hawatana1
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