パゾリーニ探索2
マニャーニの叫び
アンナ・マニャーニとパゾリーニ 兼子利光
〈マニャーニの叫び〉 p.p.パゾリーニ
もはや、ほとんど紋章だ、マニャーニの叫びは
ふり乱した確固たる前髪のもと
絶望的な全景のなかに
生きた無言の眼差しのなかに
それは響きわたる
悲劇の感情は濃密さを増していく
そこで、現在は消え去り、切断される
もう吟遊詩人たちの歌は聞こえない
(ローマで開かれたある受賞パーティーで、パゾリーニがマニャーニに捧げた詩で、そのとき、マニャーニの前でパゾリーニによって朗読された。一九五七年。
Patrizia Carrano『LaMagnani』から訳出。タイトルは筆者が付け加えた。)
パゾリーニの映画作品第一作『アッカトーネ』は一九六一年に上映されている。その様子をドミニク・フェルナンデス『天使の手のなかで』(岩崎力訳)から拾ってみる。
「一九六一年十一月二十三日。映画館バルベリーニで、ぼく(パゾリーニのこと)の映画第一作が封切られる。乱闘がはじまり、スクリーンにはインクが、客席では悪臭を放つボールが投げつけられる。」
そして翌年公開の第二作『マンマ・ローマ』はこんなふうである。
「その映画は九月二十二日、ローマの〈クワトロ・フォンターネ〉座で封切られた。ファシスト学生の一団がやってきていた。映写がすむやいなやひとりの若者が立ち上がり、割れんばかりの大声でがなり立てた――『ピエル・パオロ、全国の青少年の名においてはっきり言っておく。きさまには反吐が出る』今度はさすがにぼくも堪忍袋の緒を切らして、そいつに往復ビンタを食らわした。奴は床にころがった。」
もちろん、小説的な過剰な表現もあるかもしれないが、それでも、公開当時の雰囲気はとてもよく伝わってくる。右翼・ファシストの圧力と妨害のなかで、パゾリーニの映画は上映されたのである。そして作品の評価は「ショックを受けて誹謗中傷する人と感激して高く評価する人に分かれ、言葉だけでなく暴力を伴った対立や衝突も珍しくなかった」と、パゾリーニのいとこで詩人のニコ・ナルディーニは書いている(『魂の詩人パゾリーニ』川本英明訳)。
パゾリーニは第二作『マンマ・ローマ』でアンナ・マニャーニを主役にすえる。それは俳優をその演技によって選ぶのではなく、その存在じたいで選ぶという俳優観から、ほとんど演技とは無縁な素人俳優を多用するパゾリーニの作品のなかでは異例なことである。まず、そのアンナ・マニャーニ(一九〇八―七三)について触れてみたい。
マニャーニとロッセリーニ
マニャーニの名を世界的に知らしめたのは言うまでもなく、ロッセリーニの『無防備都市』(一九四五)である。これはイタリア・ネオレアリズモの傑作というばかりでなく、戦後の世界映画史の始まりを画する作品でもある。
第二次世界大戦の末期、ローマはドイツ軍によって占領される。すぐさま、ドイツ軍に対する戦い、首都防衛のためのレジスタンスが市民や軍人によって展開される。この『無防備都市』はそのレジスタンスの戦いとそれに対するドイツ軍の苛烈を極める弾圧・暴力を描いたものである。マニャーニ扮するピーナは子どものいる未亡人だが、隣家のレジスタンスに加わるフランチェスコと結婚することになっている。結婚する前夜、二人は将来について話し合う。(ピーナ)「戦争はいつ終わるの? そろそろ我慢の限界だわ」(フランチェスコ)「正義は俺たちの側にあるんだから、勝利の日までがんばることさ。長くて険しい道でも、よりよい世界に通じる道なんだ。子どもたちはそれを見られる。だから希望を捨てちゃいけないよ」
その翌朝、そんな希望の言葉を嘲笑うかのように、映像は容赦のない現実を突きつけてくる。二人が住む居住区がドイツ軍によって包囲されたのである。フランチェスコたちレジスタンスを捕縛しようと、アパートの各階をしらみつぶしに捜索するドイツ軍兵士の慌ただしい動きとそれを遠巻きに眺める住民たちの不安げな様子が対照的に映しだされる。この緊迫感あふれる動きの激しい映像は、ドイツ軍の機能的で暴力的な整序された動きとドイツ軍に制止されてその動きをただ呆然と見ていることしかできず、いらだちと諦めの表情やしぐさをみせる住民たちの姿をすばやい切り返しで捉え、その転換の速さはこれから起きる悲劇へと物語が加速されていくかのようだ。
そうして、フランチェスコはドイツ軍に捕らえられ、車両にのせられ連行されていく。それを見たピーナが「フランチェスコ!」と絶叫しながら、右手を上げ黒い髪を振り乱した必死の形相でドイツ軍のトラックを追いかける姿が全景のなかに捉えられる。切り返して、ドイツ軍に捕らえられたトラックのなかからピーナに呼び掛けるフランチェスコが映し出される。するとその時、一発の銃声が轟き、こんどは路上に倒れ伏す哀れなピーナが捉えられる。これが冒頭に掲げたパゾリーニの詩がうたったシーンである。ドイツ軍の銃弾に倒れた母親にかけよる幼い子ども、そしてピーナを抱きかかえる神父の姿がそこにある。そして場面はすぐに切り替わり、道路を見渡せる小高い丘の上である。フランチェスコたちをのせたドイツ軍の車両を待ち伏せするレジスタンスは襲撃に成功し、フランチェスコは逃走する。しかしピーナの銃殺シーンが強烈で、このシーンがいったい何なのかすぐには理解できない。まるで突然、ニュース映像が挿入された感じである。悲劇は一瞬にして起こり、その後のたたみかけるような転換の速い映像は湿った感情の余韻に浸ることすらゆるさないようだ。むしろ、それだからこそ悲劇の感情は作品全篇に濃密に遍在している、と言うべきだろうか。
フランチェスコとレジスタンスの指導者マンフレーディは、マンフレーディの恋人マリアの家に身を隠す。歌手であるマリアは麻薬に溺れ、ドイツ軍の女将校に通じていて、〈人生なんて汚いものよ。貧乏したら悲惨だわ。ふつうの結婚なんかしたら、今頃飢えて死んでるわ〉と考えるような功利的で現実的な女だった。そしてマリアの密告によって、マンフレーディとレジスタンスを支援していた神父が逮捕されてしまう。後にマリアは「わたしはとんでもないことをしてしまった」と後悔するのだが。マンフレーディが神父の前でドイツ軍によって拷問されている間、別の部屋で酒を飲んでくつろいでいるドイツ軍将校の科白が印象的である。
(指揮官)「イタリア人が口を割らなければ、イタリア人を見直してやる。わが支配民族であるドイツ人と差がないということになる」
(別の将校)「かつてはわたしも支配民族だと思っていた。しかし、フランス人らは協力を拒んで死んでいった。奴らの自由思想は理解に苦しむ。……俺たちは殺して殺して殺しまくった。ヨーロッパ中でだ。この戦争は必然的に憎悪を生む。俺たちが憎悪の的になる。憎悪に囲まれて希望はない。俺たちは絶望のなかで死ぬんだ」
その〈希望〉と〈絶望〉の錯綜する現実のなかで、マンフレーディは口を割らずに拷問の末に、神父にみとられて死んでいく。そして神父もまた翌朝、ローマの街並みが見渡せる丘で、遠くから為すすべもなく立ち尽くす子どもたちに見守られるなかで、ドイツ軍によって射殺される。
この作品はドイツ軍の動きやそれに触発されて動揺する住民たちの不安げな表情やしぐさを巧みな映像の切り返しで表現し、さらには場面転換の速さで観る者を否応なく、悲劇の連鎖のなかに引き込んでいく。この場面転換の速い映像が暗示するものは、戦争の狂暴な暴力の実体であり、その巨大な暴力の渦に巻き込まれた小さな個人はあわつぶのように消されてしまう存在にすぎないということ、そしてその小さな存在が狂暴で巨大な暴力に立ち向かおうと意志するとき、〈悲劇〉が生まれる。ピーナや神父が射殺されるシーンに象徴されるように、映画のなかで住民や子どもたちが目撃する悲劇を、映画を観ている者もまた、〈生きた無言の眼差し〉としてそれを目撃し、そしてこの悲劇を生きるのである。
マニャーニとヴィスコンティ
このあと、マニャーニはヴィスコンティの『ベリッシマ』(一九五一)に出演している。これはパゾリーニの『マンマ・ローマ』にも通じるテーマで、ヴィスコンティにしては珍しく小市民の家族を中心にすえた小品である。
マニャーニ演じるマッダレーナは、ローマのテルミニ駅近くの庶民的な居住区に住む、典型的なイタリア庶民の「おばさん」である。夫と小さな娘の三人家族で、看護師をしている。映画会社が子役の募集をすると知り、マッダレーナは娘をスターにしようと考え、チネチッタ撮影所へと向かう。おなじような考えの親子でごった返すチネチッタで迷子になった娘を探して右往左往しているマッダレーナの姿が高所から捉えられる。それが冒頭のシーンである。それは娘のためというよりも、自分のエゴのために我を忘れてしまったマッダレーナの心の姿でもあるようだ。
古代ローマ史劇『ファビオラ』(一九四七)の監督であるアレッサンドロ・ブラゼッティが実名で登場しているというのも、映画ファンとしては興味深いところであるが、一次審査を通ったというだけで元女優が演技指導をしたいと現れたり、審査関係者にコネがあると撮影所に出入りする若い男に言い寄られたりと、映画業界の裏側も描き出されていくところがこの映画の面白さである。娘の将来を思い、スターにしてやろうというマッダレーナの小市民的な願望はアパートを買うために貯めた資金まで使い、審査関係者に贈り物(ワイロ)をするところまで行きつく。
「娘を有名にして幸せにさせたい。それが親の役目でしょ。罪だというの? わたしのような苦労をかけさせたくないの」そんなふうに考えるマッダレーナは、ワイロに渡した住宅資金が仲介した若者のバイクの購入資金となっていたことを知るが、最終のカメラテストに娘が残ったことに気をよくし、カメラテストの試写を見ることになる。そこにはカメラの前でただ泣くばかりの娘の姿があり、その試写を見て審査員たちは大笑いするという光景があった。娘は子役に採用されることになるが、マッダレーナはそれを拒絶する。娘を笑いものにするような世界には娘を預けられないと考えたのだ。そして、自らの小市民的な願望から、子どもの資質も考慮せずに娘の将来を方向づけようとした愚かさに気づいたのである。
この作品はヴィスコンティには珍しく、深刻な悲劇の深みへと降りていくことのない、軽快な庶民の生活の苦いエピソードとなっている。湿気のない軽快さと活気に満ちているのはマニャーニの存在から溢れ出てくるものによるのだろうか。
マニャーニの自宅アパートでのシーンがすばらしい。この居住区には夜になると映画も上映される広い中庭があり、昼前の時間、アルトサックスの音色が聞こえてきたり、下町の街路のざわめきや隣近所の生活音が聞こえてくる心地よい空間である。
マッダレーナは外出しようと子どもの支度を手伝いながら、これからすることなどをまるで機関銃のように娘に話しかける。そして、半地下となっている道路沿いの部屋で身支度をしながら、誰に話すでもなく、まるでジャズの即興演奏のように喋りつづけるのである。半地下となった窓からは行き交う人々の足や車の往来が見え、そこから近所の悪ガキが部屋を覗こうとすると、マッダレーナは窓辺に駆け寄り、その子どもを怒鳴りつけ罵詈雑言をすさまじい勢いで繰り出す。このすばらしい速さで繰り出される言葉はまるで心地よい音楽のようにリズミカルで軽快で生き生きとしているのだ。マニャーニのカメラの前でのこの独り芝居は驚嘆すべきものがある。もちろん、こんなマニャーニを引き出したのはヴィスコンティの功績というべきだ。
『マンマ・ローマ』――パゾリーニを超えるマニャーニ
映画は、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の構図で、居酒屋で行われている怪しげな結婚式のシーンから始まる。新郎は『アッカトーネ』のフランコ・チッティ。ここでも不埒な面構えの娼婦の〈ヒモ〉として登場する。相手の新婦は娼婦だろうか。会席者はすべて『アッカトーネ』に出演していた素人俳優である。新婦の父親は仮釈放の身で、会席者はみな〈ヒモ〉という世にも奇怪でおぞましい結婚式なのである。そこに大女優マニャーニ扮するマンマ・ローマが結婚の祝いなのだろう子豚を三匹連れて現れる。そして新郎、新婦、マンマ・ローマによる意味不明な怪しげな〈歌〉の応酬があり、座は盛り上がる。これほどめでたくもなく、華やぎもなく、ただただ奇怪でおぞましい結婚式のシーンは映画史上、この『マンマ・ローマ』をおいてないのではないだろうか。まさしくパゾリーニにしか撮れないシーンの一つである。
この新郎カルミーネはマンマ・ローマの元ヒモで、娼婦だったマンマ・ローマは「足を洗い」、市場で野菜売りをしながら、大きくなった息子のエットレを引き取る。そしてローマ郊外のボルガータに住み、新しい生活を始めようとする。
舞台となるチェカフーモと呼ばれるボルガータは、パゾリーニが撮影の調査のため探し回り、辿りついたところである。『アッカトーネ』に登場するようなボルガータとはちがい、日本の「公団住宅」を思わせるような団地が建ち並ぶボルガータである。でも、入口のアーチのかかった門などを見ると、日本の住居感覚からすれば、とても低所得者層の住宅とは思えない。
十七歳のエットレと仲間たちがたむろするのは、古代ローマの遺跡の残骸が点在する大きな野原である。この眺望の開けた野原の向こうにはエットレたちの住む団地が見える。そしてその団地からは遠くにローマの街が望める。この野原と団地からローマの街を眺望する映像は作品のなかで何度か繰り返され、『アッカトーネ』と比べて視界の開けたイメージを作品に与えている。
マンマ・ローマはここで息子のエットレと人生をやり直そうとしているのだ。マンマ・ローマは息子をまっとうな生活のできる人間にしようと、職につかせようと考える。このへんは『ベリッシマ』の母親と共通する思いである。しかし、その手法はいささか乱暴で、かつての仲間の手を借り、教会で見かけたレストランを経営するブルジョアの男に美人局をしかけ、脅そうというものである。この安易な計画は成功し、母親の思惑どおり息子はレストランで働くことができるようになる。マンマ・ローマはレストランでウエーターとして働く息子の姿を見て涙ぐむ。このことをパゾリーニは次のように語っている。
「マンマ・ローマは十七歳の息子と人生をやり直したいと思う。しかし、彼女は人生について何を知っているというのか? 彼女はプチブルの枠組みにしがみつく。というのも、彼女もまたテレビを見ているからだ。彼女は混乱のなかですべてをやり直す。そして、社会は彼女の息子を破滅させることになる」(『La Magnani』)
マンマ・ローマが無知で、環境的に恵まれていないことは確かである。人生をやり直そうとして、相談する相手といってもかつての娼婦仲間かその周辺の怪しげな男たち、よくて教会の神父である。そんな彼女の前にどんな可能性があるというのだろう。せいぜいのところ、プチブル的な可能性しか残されていないような社会で、パゾリーニの言う「プチブル的な枠組みにしがみつく」のは自然であり、当然なことだと言わねばならない。このことはパゾリーニが考えるのとは違って、大衆は「プチブル的な枠組み」を志向するのである。
しかし、マンマ・ローマの前には蛇蝎の如く、元ヒモのカルミーネがまたしても現れ、マンマ・ローマに金銭をせびり始める。彼女に「仕事」をするように脅し、そうしなければお前の過去を息子にばらす、というのだ。だがそのことは、息子のエットレの知ることとなり、エットレはショックを受けたのか、レストランの仕事をやめ、仲間たちと〈悪事〉に手を染めていくことになる。とある大病院の面会時間。面会する人たちに紛れ込んで病院に入り、入院している患者の金品を盗むというものだ。警備が厳重になっているという理由でほかの仲間たちが逃げ出すなか、エットレは身体に熱があるうえ、デスペレイトな気分からか、残った仲間の一人とともに病院に入っていく。患者の一人が小型ラジオを持っていると聞き、隙を見て盗み出すが、発覚し警備員に捕らえられる。警察に拘留されるが、逃げ出そうと暴れたため、隔離され、手足を寝台に拘束される。まるで十字架上のキリストのように。パゾリーニはそれを十五世紀の画家マンテーニャの「死せるキリスト」の構図で映し出す。エットレは高熱にうなされ、「マンマ・ローマ」と叫ぶなかで未明に息絶える。この「死せるキリスト」について、パゾリーニの大学の恩師で美術史家として著名なロベルト・ロンギは「頭から足元へと展開するのは輪郭線の震える波動だ」(『イタリア絵画史』和田忠彦他訳)と描写している。ちなみに、この『マンマ・ローマ』はロベルト・ロンギに捧げられている。
『アッカトーネ』が素材をそのままに映し出した、どこか荒削りなイメージがあるのに対して、この『マンマ・ローマ』は主役にアンナ・マニャーニをすえ、画面の構図により注意を払うなど、言ってみれば、より洗練された「映画」を感じさせるものとなっている。とりわけ、夜の娼婦たちがたむろする街路のシーンはすばらしい。それはフェリーニの映画によく出てくる古代ローマ遺跡のそばの街路ではなく、現代的なイメージの街路である。漆黒の闇のなかに浮かぶたくさんの街灯の丸い光が、まるで『神曲』に描かれた地獄に現れる亡霊たちの燃えさかる炎であるかのように、おぼろげに妖しげにゆらめいている。その地獄のようなイメージを後景にして、マンマ・ローマを中心にして様々な人間が歩きながら会話をするところが前方から映し出される。この長い移動撮影は、マンマ・ローマが話の中心で、そこに仲間の娼婦や客の男たちあるいは有象無象の怪しげな者たちが現れ、歩きつづけるマンマ・ローマと話をしては、消え去っていく。
マンマ・ローマの生きている世界が「地獄」ででもあるかのような、この動きのある光と闇のコントラストが美しい映像は詩的なイメージを喚起する重要なシーンとなっている。
ジョン・ハリディというアイルランドの評論家がパゾリーニにインタビューしている。そのなかで、パゾリーニは「マニャーニの役の性格で意見が一致しなかった」ことについて、答えている。(ジョン・ハリディ『パゾリーニとの対話』波多野哲朗訳)
「私の犯した唯一の誤ちは、アンナ・マニャーニとの衝突です。とはいうものの、彼女が職業的な女優であったために、その誤ちは現実に存在しませんでした。実際アンナ・マニャーニに〈真の〉プチブルジョワジーをやらせたら、おそらくよい結果がえられたでしょうが、悶着をおこしたのは私が彼女にそうさせなかったからであり、私がプチブルジョワ的な大望をもった庶民の女性をやらせたことが原因です。……私はプチブルジョワ的な意識構造をもった下層プロレタリアの生活のあいまいさをひきだしたかったのです」
どうして、まっとうな生活をしようと願うことが、「プチブルジョワ的な大望」といった大それたものになるのか、さっぱりわからないし、「下層プロレタリアの生活」が「あいまい」なのは、その社会的、経済的な不安定さによる生活の不安に由来するものであり、決して「プチブルジョワ的な意識構造をもった」つまりはプチブルへの志向性があるためではない、と考えられる。
このパゾリーニの階級観にはマニャーニもきっと戸惑いを覚えたにちがいない。しかし、映画ではこの固定的な階級観はマニャーニの存在と演技によって、みごとに打ち砕かれている。例えば、市場でのマニャーニの野菜売りのシーンを思い浮かべるだけでいい。市場の隣の兄さんが「もう少し静かにやってくれよ」と閉口するほどに、マニャーニのかけ声は粗野で迫力にみちた大きな呼び声であるのだが、それはパゾリーニの意図を超えた、生活力にあふれた、生命ある〈叫び〉なのだ。
(冒頭の詩のイタリア語原文)
〈L'urlo della Magnani〉
Quasi un emblema, ormai, l'urlo della Magnani
sotto le ciocche disordinatamente assolute
risuona nelle disperate panoramiche
e nelle occhiate vive e mute
si addensa il senso della tragedia
È lì che si dissolve e si mutila
il presente,e assorda il canto degli aedi