『グラムシの遺骸』に収録されている詩篇のほとんどは、ダンテ以来の伝統的な三行詩で書かれている。その三行詩のかたちはできるだけ保存したが、エンデカシッラーボ(十一音綴)などの韻律はもちろん日本語に移しようもなく、これは日本語の意味と言葉の調子でととのえた。「政治集会」はアステリスクで四つの節に分けられているので、その流れに沿って簡単な註を入れてみたい。

第一節:夕闇が深まり、あらゆる物象をしだいに神秘のなかへと溶かしこんでいくローマの夜の情景が描かれる。詩の語り手である〈わたし〉は街を散歩中、突然の大雨に遭遇し、戸惑っているようだ。

ここで〈通廊〉(androne)と訳したのは、玄関から建物の中庭に通じる通路あるいは広間のことで、これを「玄関の広間」(四方田訳)とか「玄関ホール」とすると、ちょっとイメージと異なるので、あえてあまり日本語としてはこなれない訳語を選んだ。街なかの往来のところで、四方田訳では「馬力ある自動車が細かな音をたて」となっているが、これはいったいどんな車の、どんな音なのか、奇妙な訳である。

そして〈わたし〉はすさまじい騒音であたりをみたす集会に出会う。四方田は「解題と訳註」で、「この詩には、一九四五年二月の弟グイドの死をめぐる共産党系の政治集会をめぐり、その非人間的で偽善的な体質を告発する向きが感じられる。」と書いている。つまり、この集会を共産党の集会と考えているようだが、そうすると、この節の最後にでてくる〈ファシストの炎〉(四方田訳は「ファシストの小さな炎」)はいったい、どういう意味になるのだろうか。この詩句の前に描かれている壇上の旗の色が白、緑、赤とあるから、これがあきらかにイタリア国旗であることがわかる。それが〈ファシストの炎〉となると、それは〈炎の三色旗〉(fiammaltricolore)を意味し、極右政党「イタリア社会運動・国民右翼(MSI−DN)」の党旗を指していると考えられる。

 

 

これは、もともと第一次世界大戦時の、イタリア軍の特別攻撃隊の記章だったものをMSIが一九四七年に党のシンボルとしたものである。MSIはムッソリーニのファシスト体制の流れをくむ政党で戦後、非合法から合法路線へと転じ、五三年六月の総選挙で大幅に議席を伸ばしている。この詩で描かれる、この夜の群衆の熱狂ぶりは、その「勝利」を祝してのことであった、と想像される。ちなみにこの選挙で、与党キリスト教民主党は大幅に議席を減らし、その分このMSIと共産党が議席を伸ばしたのである。

この三色旗のパゾリーニによる描写はみごとである。暗褐色の照明のために、白は死者の顔を覆う布となり、緑は光の具合で見えなくなり、赤は古い血で染められたかのように黒く見えると比喩している。つまり、それぞれ〈死者〉、〈盲目〉、〈黒い血〉という言葉を暗示していて、これはとりもなおさず、パゾリーニあるいはイタリアの大衆がファシスト体制に抱いている暗い記憶と重なるイメージなのである。

第二節:それだから、あたかもそれを見たくないかのように、苦痛が〈わたし〉を後ろへと押し戻すのである。しかし、〈わたし〉は過去の〈亡霊たち〉の大騒ぎのなかに〈身体を失ったかのように〉進んでいこうとする。この部分の四方田訳の「影の市」とか「幽体離脱」では、なんのことかよくわからない。そして四方田訳では唐突に「この禁令に抗う声はない」というフレーズが出てくる。「この禁令」はqueste gridaの訳と思われるが、この場合、女性複数の指示形容詞があるからgridaはgrido(叫び声)の複数形ととるのが自然だと思われる。また「この禁令」がなにをさすのか、この訳ではわからない。

後半は、その群衆の熱狂に潜む精神の解析と批判である。ブルジョアという〈種を超えることのできないブルジョア的な不能〉とは、いかにもパゾリーニらしい辛辣な断定である。

第三節:〈わたし〉はその群衆のなかで、群衆の一人ひとりを観察する。〈わたし〉は彼らとは全く異質な存在であることを確認し、彼らに〈過去、亡霊、復活した本能〉を見いだす。早熟に老いた顔つきの若者たち、正直さに潜むそのゆがんだ視線、臆病さの裏返しの表現でしかない勇気。〈わたし〉の批判はファシズムを担った大衆の個性の内実へと入りこむ。

第四節:本来の自分がいる場所ではないがゆえに、〈自分自身の身体を失うという感覚〉を〈わたし〉は覚えるのである。その〈わたし〉の身体感覚をなくした幻想的な意識のなかで、〈わたし〉ではなく、〈ひとりの同伴者〉が〈わたし〉を見いだす。なぜなら、〈わたしがよく知っている〉その視線が〈わたし〉を見すえるからだ。それが若きパルチザンの弟であることが、詩の後段で理解される。パゾリーニの弟グイードの死については、すでに『ラ・リコッタ』のところで触れている。領土拡張狙いのユーゴスラヴィアのチトー派、共産党系のパルチザンにドイツ軍の攻撃で弱体化した地元のパルチザンが複雑に入り乱れる状況のなかで、グイードは殺された同志を見捨てることができずに、同じパルチザンに殺されたのである。ニコ・ナルディーニ『魂の詩人パゾリーニ』(川本英明訳)によれば、「戦後開かれた二度の裁判では、彼ら(共産主義者のことー註)の責任の所在が明確にされることになった。そして、スラブ民族に対する日和見主義による虐殺のイタリア人共謀者たちを究明し、戦後になってもパゾリーニは共産主義者のこのような《陰険で偽善的な行為》を非難し告発することを決してあきらめようとはしなかったのである。」

 

 

ところで、四方田訳はこの後半部分のところがとりわけ混乱していて、わたしにはよく理解できない。少なくとも、「頭(こうべ)を垂れるべきなのは誰なのか?」などとは、パゾリーニは書いていない。

〈わたしの弟〉はあまりに誠実で純粋な人であった。それだから、真の尊厳をもって我々の新しい歴史のために〈哀れみ〉を乞うている。それは、彼を殺そうとするパルチザンたちとの間の凄惨な現実を超えたところで意想された詩的なイメージであり、その苛酷な現実に対峙しようと直立し、凝縮した言葉のイメージなのである。あるいはそれは、明け方だったのかもしれない。彼はこの新しい世界のために〈わずかな光〉を乞わねばならなかったのだ。まるで十字架上のキリストのように。