プーさんの詩、<いのち>の詩
長い冬がおわり、春がやってきました。満開の桜並木の下をランドセルを背負った子供たちが走っているのを見ると、ウキウキしてしまう反面、なんとなく悲しい気持ちになるのは、過ぎ去った自分の幼年時代がもう二度とおとずれないことへの悲しみからでしょうか。もう大人になると、あの頃のようなつねに驚きにみちた新鮮な世界の輝きは見出せなくなってしまう。残念で仕方ありませんが、それでもわずかにあの頃の「光」の記憶は残っているものです。
先日、自分の子供のころの写真を実家にある家族アルバムで幾つも見ました。両親が大事に私の成長の記録を取っていてくれていたのです。親のありがたみを、自分がその歳になって知るのは不思議ですね。その写真の数々を眺めていると、小さいころの私はいつもクマのプーさんのぬいぐるみを抱えています。姉はミッキー・マウスです。きっとディズニーのキャラクターを子供たちに与えてくれたのでしょう。
ここで告白しますと、そのプーさんのぬいぐるみをわたしは大学生くらいまで自室に大事に飾っていました。プーさんは年老いて土色ににごってしまっていましたが、青年期になっても幼年時代の思い出の象徴としての「プー」を大事にしていました。
ただ、わたしにとってのプーさんは単に幼年時代の思い出だけではありません。わたしのとってのプーさんは実は「詩」と深く結びついています。なぜなら、プーさんはわたしが初めて出会った詩人だからです。
ゆきやこんこん ぽこぽん
あられやこんこん ぽこぽん
ふればふるほど ぽこぽん
ゆきゃふりつもる ぽこぽん
それでもぼくの ぽこぽん
それでもぼくの ぽこぽん
つめたい このあし ぽこぽん
ああ だれがしろ ぽこぽん
これは『絵本 クマのプーさん』(ぶん・A.A.ミルン、え・E.H.シェパード、やく・石井桃子、岩波書店、1968)のなかで最初にでてくるプーさんの歌です。わたしが持っているのは1973年の5刷版で、わたしが生まれた年のものです。0歳にとっては難しい絵本ですが、わたしが生まれた年に母が買った絵本であることはまちがいなく、きっと兄や姉に読み聞かせているのを、ぼーっとわたしは眺めていたのだと思います。そしてこの「ゆきやこんこん ぽこぽん」の母の歌声を聴いていたのです。
プーさんはご存知の方も多いかと思いますが、イギリスの作家A.A.ミルン(1882-1956)が1920年代にまだ幼い息子クリストファー・ロビンのために、子供部屋にある縫いぐるみを登場させて作った物語です。ディズニーによってアニメ化され世界的に広がるのはずっとあとの1960年代。それまでは、英国のマザー・グースの伝統的童謡の流れを汲んだ童話として、『クマのプーさん』と続編の『プー横町にたった家』の2冊のみが本国で読まれていました。それぞれに短編が10編収録されていて、プーさんほか、親友の子豚のコブタ、驢馬のイーヨー、梟のフクロ、カンガルー親子のカンガとルーなどなど、たくさんの動物の縫いぐるみがクリストファー・ロビンとともに百軒森(the Hundred Acre Wood)でドタバタ喜劇を繰り返します(わたしの母が読み聞かせてくれた岩波版の絵本はそのなかから幾編の物語が抜粋され編まれています)。
この童話の魅力はなんといっても主役のプーさんの「おばか」なところです。たとえば第1話の冒頭で、プーさんは木の下に座っていると、頭上から何かがブンブン聞こえてきて思案します。
「あのブンブンて音には、なにかわけがあるぞ。ああいうぶんぶんて音が、なにもわけがないのに、ただぶんぶんでてくるはずはないんだもの。ブンブンて音がするのはだね、だれかが、ブンブンていっているからなんだよ。それで、なぜそれが、ブンブンいうかっていえばだね、そりゃ、そいつがミツバチだからにきまってるさ。」(『クマのプーさん全集──おはなしと詩──』(石井桃子、小田島雄志、小田島若子訳、岩波書店、1997)
このような調子で、プーさんは様々な現象についてゆっくり思案してから行動にでます。第1話はその後プーさんが大好きな蜂蜜をミツバチの巣から取ろうとして木に登ろうとしては失敗し、風船を使って飛んでみては失敗するという「おばか」なお話です。ただそれだけでしたらこれほどの人気はでません。なんといってもプーさんの魅力はいつも面白い詩(うた)をつくる即興詩人であるところです。蜂蜜を取ろうと木に登りながら作った、世界で最初にお目見えしたプー詩はこれです。短いのでまず原文で、
Isn’t it funny
How a bear likes honey?
Buzz! Buzz! Buzz!
I wonder why he does?
プーさんは考えるときはひじょうにのんびりしてますが、詩をつくるとなると天才的なひらめきで言葉がでてきます。きちんと韻が踏まれているのもわかりますね。日本語にしてみると、
おかしくない?
クマがハチミツすきなんて。
ブン! ブン! ブン!
なんでだろう?
日本語だとうまく脚韻の良さは出ませんので、五七調にしてみました。
詩だけをみると、単なる子供向けのライト・ヴァースにしか見えませんが、物語の文脈のなかで読むと、プーさんが自分の行動のおかしさをきちんと客観視していることがわかります。つまり「おばか」なプーさんと、「天才詩人」のプーさんのギャップに、子供は思わずはっとし、つい一緒に歌ってしまいます。ミルンはこうした絶妙な手法で、物語に緩急をつけて、子供にもわかりやすくチャーミングに「詩」の効用を演出します。せっかくなので、もうひとつ。「とってもダメな クマさんの歌」。こんどは詩人の諏訪優さんの訳です(『うたうよ、クマのプーさんが』〈諏訪優、望月典子訳、株式会社サンリオ、1976〉より)。
月曜日には おひさま照って
ボクも いっぱい考える
なにがどれで どれがなんだか
そしてそれは ほんとうかしら
火曜日には 雪あられ
ボクの思いも つのるばかり
あれがこれか これがあれか
そんなの とってもムツカシくってね
水曜日には 空晴れて
ボクにも することなくなっちゃった
だれがなんで なにがだれだか
そんなの ちっともわからないもの
木曜日には こごえはじめて
しろい霜が 樹々にひかるよ
だからわかるよ これがだれのか
でもわからない だれのがこれか
金曜日には……
金曜日には……
金曜日には……
──ねえ、金曜日には、どうしたんだっけ?
この詩は第7話ででてきます。プーさんの友達のコブタが、カンガルーの母親カンガのお腹のポケットに、子供のルーのふりをして入ろうとするとき、カンガの気をそらすために作った詩です。さすがはプーさんです。このなぞなぞのような詩に母親のカンガはついつられてしまい、コブタはうまくポケットに忍び込みます。でもけっきょくはカンガの家でバレてしまい、カンガにこっぴどく仕返しをされます。
この「とってもダメな クマさんの歌」もまた、タイトル通りプーさんが自分の「おばか」ぶりを客観視して作られた即興詩ですが、お話の文脈のなかでは、「なにがどれで どれがなんだか/そしてそれは ほんとうかしら……」と、母親のカンガにプーさんは詩を通してコブタの企みを伝えているようにも読めます。これも絶妙ですね。
このようなプーさんのおどけた詩人ぶりは、読みすすめていくと、作者ミルンが詩というものが何かを適切に子供に伝えていることがわかってきます。つまり詩とは、単に喜びや悲しみ、怒りといった感情を伝えるのではなく、冷静な眼で自分と世界をみつめ、真実を伝えるものだということです。プーはいつもおどけて見せながら、実はすべてを見通しています。そしてときには言葉を敢えて言い間違えて(例えばhoney=ハチミツを、funny=ヘンテコとごちゃまぜにしてhuney=ハチミコにするなど)、使い古された言葉で構成されている世界秩序をシャッフルし、ほんとうのことはなにかを見直させます。単なる言葉遊びではありません。これは詩的言語の創造性の源泉なのです。
では、この天才詩人プーと動物たち、そしてミルンの息子クリストファー・ロビンはその後どうなるのでしょうか。
実は「クマのプーさん」シリーズのほんとうの主人公はプーさんではなく、クリストファー・ロビンです。プーさんとその仲間の動物たちが繰り広げるドタバタ喜劇の最後をとりまとめるのはいつも彼です。つまり彼は小さな「百軒森」の主人であり英雄です。父親のミルンはわかっていました。幼い子供はつねに内部世界=インナーワールドの中心にいるということを(このことはミルンの自伝『今からでは遅すぎる』(石井桃子訳、岩波書店、2003)の第14章に詳しく出ています)。そしていつか自分が中心ではない外部世界=リアルワールドへと旅立たねばならないことも。幼稚園にゆき、小学校にゆき、中学校にゆき、と現実の社会に入っていくにつれて子供は少しずつ世界の中心から外れていくことに戸惑いと痛みを覚えます。子供のなかには先生にしかられたり、友達と喧嘩をして負けたりすると、すぐに泣く子がいますが、その子はきっと自分のインナーワールドの磁場が強い子なのだと思います。自分が突然主人公でなくなることにショックを受けるからです。
ミルンはそんな子供の心理の発達を考えて、周到にプーさんという存在にある役割を与えています。プーさんは子供が外部世界に飛び出しショックを受けて内部世界に戻ってくるときに出迎えて癒してくれると同時に、ふたたび外部世界へと扉を開いてくれる存在です。つねにプーさんは内部と外部の境界線に立っています。プーさんがつくる詩、それは先にも述べましたように、自分が中心にいるクリストファーのインナーワールドを客観的な視点で「ほんとうかしら」といつも揺さぶるからです。
「クマのプーさん」シリーズの最後を、もしお読みでない方がいたら申し訳ないので詳細は明かしませんが、ポイントだけ少し言ってしまいますね。
クリストファー・ロビンが幼年期を終えるとき、プーやその他の動物たちと過ごしたインナーワールドは終わりを告げることになります。しかしお別れではありません。物語上ではプーとクリストファー・ロビンはいつまでも一緒に生きていく形をとります。
この結末は何を暗示しているのでしょう。わたしは実は自分自身の問題とも重なっていささか複雑な心境になりますが、実際のミルンの息子クリストファー・ロビンの人生にとってはどうだったのか考えてみますと、これはプー・ファンには知られている話ですが、ひじょうに悲劇的な実人生を送ることになってしまいます。というのも、ディズニーによる世界的ヒットの影響もあろうかと思いますが、クリストファーのなかでは父親が自分を利用して富と名声を得たことへの怒りと悲しみが生涯つづいてしまったからです。想像すればわかりますね。親が作り上げた幼年期の自分の偶像を世界中の人々が賞賛し、一人の大人の人間として誰も自分を見てくれない。そんな人生はとても苦しいものです。もし本当にプーが存在していたら、きっとおかしな詩を作って彼の心を慰めたでしょうけど、プーは実在しません。誰も彼の本当の味方になってはくれなかったのです。
ただ、この悲劇の要因はもう少し深く考えなければならないと思います。
一つは、この物語に「母親」が登場しないことです。いえ、間接的には登場します。クリストファーの母親は娘が欲しかったらしく、彼を女の子のように育てたと言います。髪も服も幼少期は女の子みたいです。また母親は繊細な芸術家肌の人でありながら、反面、家庭内では夫をないがしろにし、家でいちばん手狭な部屋に押し込むような態度をとっていました。たしか乳母がいて、母親らしいことをクリストファーにあまりできなかったようです。
こうした家族の問題ついて、児童心理学の専門でないわたしには正確なことはいえませんが、「クマのプーさん」を読んで確かに思うことは、この物語が作者ミルンとクリストファーが居場所のない家庭の中にあって、共同作業で綴った「父ー息子」の物語であり、そしてそれは父親にとってのインナーワールドの世界の構築でもあったということです。特にこの物語が生まれる前、ミルンは第1次世界大戦に従軍し、命からがら帰ってきています。激しい戦場における残酷なリアルワールドを見てきたミルンにとって、息子とのインナーワールドの再構築は自らの精神の健康を取り戻すためにも不可欠だったのだと思います。
そして、もうひとつ、大切なことがあります。それはミルンが子供部屋にあるぬいぐるみたちに見事にことばで「いのち」を吹き込むことができる、たいへん才能豊かな詩人・劇作家であったということです。さらにその才能に加えて、「死」に満ちた戦場での体験が、「いのち」をより強くことばに吹き込むことにつながったのかもしれません。ゆえに息子クリストファーはきっと父親が語ってくれた生き生きとしたプーの物語と詩の世界に心から魅了されたのだと思います。しかしクリストファーはその「いのち」に満ち満ちたインナーワールドの世界からなかなか抜け出すことができなかった。それはそうです。本来なら空想にすぎない幼少期のインナーワールドより、「いのち」はリアルワールドにあるのですから。しかしクリストファーにとっては逆だった。だから結末にプーさんとともに生きていくよう描いたミルンの筆跡は、わたしには「このままではいけない」という父親の焦りと、息子へのぎりぎりの配慮があったのではないかと思われるのです。
わたしはここに、詩のことばのこわさを知る思いがします。詩が「真実」を語り、「いのち」の輝きにみちていればいるほどに、ときにその詩によって人生を狂わされてしまう人がいる……「クマのプーさん」と「その後」の家族のエピソードは、そのことをわたしに訴えかけてきます。
だからわたしはいまも「クマのプーさん」から多くを学びます。詩のことばとは、あらゆるものに「いのち」を与え、そしてまた奪うものだと。でもそれもあまり深刻に考え過ぎなくてよいかもしれませんね。
こんど満開の桜の木の下で、子供たちとプーさんの物語と詩を読んでみようと思います。まだミツバチの季節ではありませんが、「ブンブン」とミツバチの「いのち」の音が子供たちには聞こえて来ると思います。そうしたら「なんでだろう?」とプーさんの詩をみんなで歌って歩き出せばよいのですから。
Tar:詩と児童文学愛好家。1973年生まれ。山羊座。
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