震災    永井荷風
今の世のわかい人々
われにな問ひそ今の世と
また来る時代の芸術を。
われは明治の兒ならずや。
その文化歴史となりて葬られし時
わが青春の夢もまた消えにけり
團菊はしおれて櫻痴は散りにき。
一葉落ちて紅葉は枯れ
緑雨の聲も亦絶えたりき。
圓朝も去れり紫蝶も去れり。
わが感激の泉とくに枯れたり。
われは明治の兒なりけり。
或年大地俄にゆらめき
火は都を焼きぬ。
柳村先生既になく
鴎外漁史も亦姿をかくしぬ。
江戸文化の名残煙となりぬ。
明治の文化また灰となりぬ。
今の世のわかき人々
我にな語りそ今の世と
また来む時代の芸術を。
くもりし眼鏡をふくとても
われ今何をか見得べき。
われは明治の兒ならずや。
去りし明治の兒ならずや。


 この「震災」という詩は、荷風の戦後の詩集『偏奇館吟草』に収められた一篇である。
 「訳詩について」という随筆のなかで、「一時わたくしが鴎外柳村二先生の顰みに倣つて、西詩の翻訳を試みたのも、思へば既に二十年に近いむかしである」と、荷風は云う。「当時わたくしが好むで此事に従つたのは西詩の余香をわが文壇に移し伝へやうと欲するよりも、寧(むしろ)この事によつて、わたくしは自家の感情と文辞とを洗練せしむる助けになさうと思つたのである」と。
 「感情と文辞と」が洗練されたこの詩は、鴎外の『於母影』、柳村上田敏の『海潮音』、そして荷風の『珊瑚集』と、その流れを思うとき、さらに味わい深いものとなる。ただ、黙して、玩味するのみ。
 その昔、三ノ輪の浄閑寺を辻征夫さんなどとともに訪ねた折、その詩碑を見たことどもが思い出される。