懐かしのわが家    寺山修司
昭和十年十二月十日に
ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かかゝって
完全な死体となるのである
そのときが来たら
ぼくは思いあたるだろう
青森市浦町字橋本の
小さな陽あたりのいゝ家の庭で
外に向って育ちすぎた桜の木が
内部から成長をはじめるときが来たことを

子供の頃、ぼくは
汽車の口真似が上手かった
ぼくは
世界の涯てが
自分自身のなかにしかないことを
知っていたのだ


 昨26日、新宿・紀伊國屋ホールで、高取英/月蝕歌劇団の第55回公演『寺山修司 過激なる疾走』を見た。高取英は、寺山修司の生涯を演劇にするという困難な課題に、ストレートな精神と方法とで挑戦したが、寺山修司がそこにいるかのような舞台であった。
 舞台では、オスヴァルト・シュペングラーの「去りゆく一切は比喩にすぎない」ということばが何度となく繰り返されたが、寺山修司の著書や映画の記憶、また、紀伊國屋ホールの後ろに立っていた在りし日の寺山修司など、さまざまな映像が僕のなかを往来していた。そして、寺山修司の父を演じた大久保鷹!
 もちろん、「懐かしのわが家」も朗読された。「比喩」がはずされたことばは、紀伊國屋ホールを出た後も、炎天の下、僕のなかで残響した。(文責・岡田)