停留所にてスヰトンを喫す  宮沢賢治
わざわざここまで追ひかけて
せっかく君がもって来てくれた
帆立貝入りのスヰトンではあるが
どうもぼくにはかなりな熱があるらしく
この玻璃製の停留所も
なんだか雲のなかのよう
そこでやっぱり雲でもたべてゐるやうなのだ
この田所の人たちが
苗代の前や田植の後や
からだをいためる仕事のときに
薬にたべる種類のもの
きみのおっかさんが
除草と桑の仕事のなかで
幾日も前から心掛けて拵へた
雲の形の膠朧体(かうろうたい)
それを両手に載せながら
ぼくはただもう青くくらく
かうもはかなくふるへてゐる
きみはぼくの隣に座って
ぼくがかうしてゐる間
じっと電車の発着表を仰いでゐる
あの組合の倉庫のうしろ
川岸の栗や楊(やなぎ)も
雲があんまりひかるので
ほとんど黒く見えてゐるし
いままた稲を一株もって
その入口に来た人は
たしかこの前金矢(かなや)の方でもいっしょになった
きみのいとこにあたる人かと思ふのだが
その顔も手もただ黒く見え
向ふもわらってゐる
ぼくもたしかにわらってゐるけれども
どうも何だかじぶんのことではないやうなのだ
ああ友だちよ
空の雲がたべきれないやうに
きみの好意もたべきれない
ぼくははっきりまなこをひらき
その稲を見てはっきりと云ひ
あとは電車が来る間
しづかにここに倒れよう
ぼくたちの
何人も何人もの先輩がみんなしたやうに
しづかにここへ倒れて待たう


 宮沢賢治が異数の人であることは、いうを俟たないであろう。「ほんたうの」宮沢賢治はつかまえられたのだろうか。その遠さを考える。いまの関心にひきつけるならば、宮沢賢治は菩薩の道と文学の道との弁証をいかに生きたのかということについて考えるのだが、残された「詩」は黙して、そこにあるばかりだ。(文責・岡田)