薄荷酒  木下杢太郎
投節(なげぶし)を聴き帰る夜のペパミントは
味(あぢはひ)異なれども悲哀(かなしび)あひ似たりや。
その青き酒杯(さかづき)の底にくらき燈(ひ)ともり、
男はうれはしげに頬杖し、
女(をみな)は耳許に口よせて暗示を与ふ。
ゆるやかなる音曲のうちには
雨後のぬれたる梧桐(あをぎり)の葉に月かげさし、
蔵の窓より燈(ともしび)もれにじみぬ。
やはらかに、あまく、やや重き、小さい液体の珠(たま)は、
冷やかに舌のさきより消えて、ただ耳鳴の
まだ残るうす暗やみに紅き幕音なく垂る。

かなしき女(をみな)の衣摺(きぬずれ)の如く、またにほひの如く、
黒き河の面(おもて)を舟ゆく見ゆ。この青き酒の、
その底にまだ沈む沈丁花、執(しふ)の頸(うなじ)の、
唇に、わりなしや、はたからむ おくれ毛の筋。


 木下杢太郎の散文は、『食後の歌』の自序をはじめとして、味わい深いものがある。この「薄荷酒」という詩は、「薄荷酒 並序」と題されるごとく、かなり長い序が付せられていて、この文章がいい。この序は、詩が成ったのちに書かれたものであるようだが、この序を読んでこそ、詩はいっそう興趣を増すところがある。されども、序なくしても、この「薄荷酒」という一篇は、読後、一種、独特のものを残すのである。(文責・岡田)