春の日の夕暮  中原中也
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁! 案山子はないか――あるまい
馬嘶くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
自らの 静脈管の中へです


 中原中也生誕100年の2007年もまもなく暮れようとしている。この「今週の詩」は、7月20日にスタートして、以後、毎週更新されてきたが(奇蹟的?)、脈絡なく、思いつくままに取り上げてきた。通奏低音があるとすれば、近代詩の周辺を逍遙するというあたりだろうが、これからはもう少し自由にやっていきたい。今月の残り三回は、中也の詩を取り上げていきたい。「春の日の夕暮」は、『山羊の詩』巻頭の詩。ここにすべてがある――というのはかんたんなことであり、なにもいっていないに等しい。冒頭の「トタンがセンベイ食べて」に驚きながら、「ヌメラン」という語感に惹かれながら、「ポトホト」という音に躓きながら、あるいは「前進します」ということばに立ち止まりながら、一行一行を味わい深く読むばかりである。(文責・岡田)