2008年01月28日
若菜集 序詩 島崎藤村
こゝろなきうたのしらべは
ひとふさのぶだうのごとし
なさけあるてにもつまれて
あたゝかきさけとなるらむ
ぶだうだなふかくかゝれる
むらさきのそれにあらねど
こゝろあるひとのなさけに
かげにおくふさのみつよつ
そはうたのわかきゆゑなり
あぢはひもいろもあさくて
おほかたはかみてすつべき
うたゝねのゆめのそらごと
いま、島崎藤村は読まれているのだろうか。『若菜集』、冒頭の序詩に立ち止まり、繰り返し読む。そして、山村暮鳥詩集『三人の処女』に寄せた序文で「情人を愛するごとく、私は詩を愛し、情人に別るるごとく、私は詩に別れた」と書いた藤村のことを考える。『若菜集』は明治30年(1897年)、『三人の処女』は大正2年(1913年)。ふたつの詩集の間に流れた時間を考える。(文責・岡田)
ひとふさのぶだうのごとし
なさけあるてにもつまれて
あたゝかきさけとなるらむ
ぶだうだなふかくかゝれる
むらさきのそれにあらねど
こゝろあるひとのなさけに
かげにおくふさのみつよつ
そはうたのわかきゆゑなり
あぢはひもいろもあさくて
おほかたはかみてすつべき
うたゝねのゆめのそらごと
いま、島崎藤村は読まれているのだろうか。『若菜集』、冒頭の序詩に立ち止まり、繰り返し読む。そして、山村暮鳥詩集『三人の処女』に寄せた序文で「情人を愛するごとく、私は詩を愛し、情人に別るるごとく、私は詩に別れた」と書いた藤村のことを考える。『若菜集』は明治30年(1897年)、『三人の処女』は大正2年(1913年)。ふたつの詩集の間に流れた時間を考える。(文責・岡田)
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