千曲川旅情のうた  島崎藤村
昨日またかくてありけり
今日またかくてありなむ
この命なにを齷齪(あくせく)
明日をのみ思ひわづらふ

いくたびか栄枯の夢の
消え残る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水巻き帰る

嗚呼(ああ)古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過(いに)し世を静かに思へ
百年(ももとせ)もきのふのごとし

千曲川柳霞みて
春浅く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁を繋ぐ


 なんの目算も立てずに、「近代詩」の森を徘徊しているのだが、思いのほか、印象に残る詩が少ない。「近代」の感受性と「21世紀」のそれとが同じものではないことにもよるだろうが、これまでに書かれた「詩」がそれほど多いものではないことにも、ふと気がつかされる。いうまでもなく、「古典」とはなにかとあらためて考えることもある。この「千曲川旅情のうた」にたどりついたとき、ああ、これが藤村の「青春との別れ」「詩との別れ」の詩(うた)なのだなと得心する。だが、「この岸に愁を繋ぐ」という最終行から始まるものもあっただろう。それはなんであったのか。(文責・岡田)