荒寥地方  萩原朔太郎
散歩者のうろうろと歩いてゐる
十八世紀頃の物さびしい裏街の通りがあるではないか
青や緑や赤やの旗がびらびらして
むかしの出窓に鉄葉〔ぶりき〕の帽子が飾つてある。
どうしてこんな情感のふかい市街があるのだらう
日時計の時刻はとまり
どこに買物をする店や市場もありはしない。
古い砲弾の砕片〔かけ〕などが掘り出されて
それが要塞区域の砂の中でまつくろに錆びついてゐたではないか
どうすれば好いのか知らない
かうして人間どもの生活する 荒寥の地方ばかりを歩いてゐよう。
年をとつた婦人のすがたは
家鴨〔あひる〕や鶏〔にはとり〕によく似てゐて
網膜の映るところに真紅の布〔きれ〕がひらひらする。
なんたるかなしげな黄昏〔たそがれ〕だらう
象のやうなものが群がつてゐて
郵便局の前をあちこちと彷徨〔はうくわう〕してゐる。
「ああどこに 私の音づれの手紙を書かう!」


 朔太郎には、犀星と過ごした青春の日々をうたう「東京遊行詩篇」というものがある。そのひとつ、「狼」という詩に現われる、「きけ浅草寺〔せんそうじ〕の鐘いんいんと鳴りやまず」という詩句と、先週取り上げた犀星の詩句「ただ聞け上野寛永寺の鐘のひびきも」との照応などには興味深いものがある。それに対して、いわゆる「青猫以後」に登場する諸詩篇は、形而上的彷徨詩篇とも名づけたくなるものだ。朔太郎は、荒寥地方を、沿海地方を、沼沢地方を……この地上のどこにもない「地方」を、ただ彷徨する。その途次、いきなり「仏陀」が現われたりもする。これらの諸詩篇を筆者は深く愛する。これらの一篇一篇の詩が、はたして、よい詩であるのかどうか、自分でも判断を保留するところがないわけではないが、一方で、これらの詩篇はそんな次元をはるかに超えていることを知らされるのである。朔太郎がたどりついた「荒野の涯〔はて〕」に立ち、ここからさらに遠く往く途を夢想するばかりである。(文責・岡田)