行つて お前のその憂愁の深さのほどに  伊東静雄
大いなる鶴夜のみ空を翔〔かけ〕り
あるひはわが微睡〔まどろ〕む家の暗き屋根を
月光のなかに踏みとどろかすなり
わが去らしめしひとはさり……
四月のまつ青き麦は
はや後悔の糧〔かて〕にと収穫〔とりい〕れられぬ

魔王死に絶えし森の辺〔へ〕
遥かなる合歓花〔がふくわんくわ〕を咲かす庭に
群るる童子らはうち囃〔はや〕して
わがひとのかなしき声をまねぶ……
(行つて お前のその憂愁の深さのほどに
明るくかし処〔こ〕を彩〔いろど〕れ)と


 今週、来週と中原中也を取り上げるつもりであったが、野呂邦暢の「詩人の故郷」という文章を読んで、伊東静雄をまた読んでいる。思えば、今年は伊東静雄の詩をよく読み返したものだ。野呂邦暢は「最後に行き着いた」のが、この「行つて お前のその憂愁の深さのほどに」であると云う。この詩は、やさしい詩ではない(ルビを〔 〕表記したから、読みにくさはさらに増したことだろう)。ちょっとどうかと思われる詩行がないわけではない。だが、野呂が云うように、読む者を「とらえ放さな」いところがある。眼目が終わりの二行にあることは云うまでもない。この二行は、伊東静雄の詩法を、その「意志の姿勢」を、あますところなく語っているように思われる。この、「かし処を彩る」強度、高さを持続するのが至難の業であることは、静雄のそれ以後の「詩作」が告げるとおりである。だが、『わがひとに与ふる哀歌』に収録されたいくつかの詩篇はいまもなお詩のなんたるかを問いかけてくる。(文責・岡田)