椰子の実  島崎藤村
名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子〔やし〕の実一つ

故郷〔ふるさと〕の岸を離れて
汝〔なれ〕はそも波に幾月

旧〔もと〕の樹は生ひや茂れる
枝はなほ影をやなせる

われもまた渚〔なぎさ〕を枕
孤身〔ひとりみ〕の浮寝の旅ぞ

実をとりて胸にあつれば
新〔あらた〕なり流離の憂〔うれひ〕

海の日の沈むを見れば
激〔たぎ〕り落つ異郷の涙

思ひやる八重の潮々
いづれの日にか国に帰らん


 北村透谷の葛藤は島崎藤村にも伝わったことだろうが、その本質において、透谷と藤村は同じではありえなかった。ともあれ、盟友・透谷の自殺、そして失恋などを経て、「自分のようなものでも、どうかして生きたい」と、藤村は仙台に赴く。その一年の仙台暮らしのなかで、『若菜集』(明治30年/1897年)の詩篇が書き上げられた。だが、その「序詩」、あるいは「草枕」の一部を除けば、21世紀のいまでも読むことができることばはほとんど見られない。いまでも読むことができるのは、最後の詩集となった『落梅集』(明治34年/1901年)に収められている「小諸なる古城のほとり」や「千曲川旅情のうた」に歌われた憂愁の情念ではないだろうか。上記の、歌曲としても知られる「椰子の実」も『落梅集』に収められている。「小諸なる古城のほとり」にも通じるような「流離」の思いが歌われるこの詩は、伊良子岬の海岸に椰子の実が流れてくるのを見つけたという柳田国男の話を聞いて作られたという一挿話とともに記憶される。
 いまは、時間があれば、『落梅集』をもって詩と別れた島崎藤村がその後どのように歩んでいったのか、その小説を読みながらあらためて考えていきたいと思うばかりである。時間があれば。(文責・岡田)
 *『若菜集』の「序詩」、「千曲川旅情のうた」は、アーカイヴで読むことができます。