「酒の黴」から  北原白秋
1
金の酒をつくるは
かなしき父のおもひで、
するどき歌をつくるは
その児の赤き哀歓。

金の酒をつくるも、
するどき歌をつくるも、
よしや、また、わかき娘の
父〔てて〕知らぬ子供生むとも……

2
からしの花の実になる
春のすゑのさみしさや。
酒をしぼる男の
肌さへもひとしほ。

3
酒袋〔さかぶくろ〕を干すとて
ぺんぺん草をちらした。
散らしてもよかろ、
その実となるもせんなし。

8
櫨〔はじ〕の実採〔とり〕の来る日に
百舌〔もず〕啼き、人もなげきぬ。
酒をつくるは朝あけ、
君へかよふは日のくれ。

9
ところも日をも知らねど、
ゆるししひとのいとしさ、
その名もかほも知らねど、
ただ知る酒のうつり香。

14
その酒の、その色の、にほひの
口あたりのつよさよ。
おのがつくるかなしみに
囚〔と〕られて泣くや、わかうど。

15
酒を醸〔かも〕すはわかうど、
心乱すもわかうど、
誰とも知れぬ、女の
その児の父もわかうど。

19
かなしきものは刺あり、
傷つき易きこころの
しづかに泣けばよしなや、
酒にも黴のにほひぬ。

24
銀の釜に酒を湧かし、
金の釜に酒を冷やす
わかき日なれや、ほのかに
雪ふる、それも歎かじ。



 泣菫・有明がもたらした閉塞に大きな風穴をあけたのは北原白秋であった。白秋が大詩人であることはもとより了解しているつもりだが、これまで白秋の詩と真正面から向かい合ったという記憶がない。これは資質、機根によるところも大きいだろうからか、白秋については、積極的に云いたいことがあまりない。白秋は、構えて読むよりも、なにも考えずにぱらぱらと繰っているときに、ふっと詩句が入ってくるようだ。上記の「酒の黴」なども、そういう詩のひとつである。『思ひ出』の巻頭に置かれた「わが生ひたち」と重ねて、この「酒の黴」、あるいは「断章」などの小詩篇を読んでいると、白秋は遠いものを見ているのだなあ……と思われてくるのである。(文責・岡田)