そよぐ幻影  大手拓次
あなたは ひかりのなかに さうらうとしてよろめく花、
あなたは はてしなくくもりゆく こゑのなかの ひとつの魚〔うを〕、
こころを したたらし、
ことばを おぼろに けはひして、
あをく かろがろと ゆめをかさねる。
あなたは みづのうへに うかび ながれつつ
ゆふぐれの とほいしづけさをよぶ。
あなたは すがたのない うみのともしび、
あなたは たえまなく うまれでる 生涯の花しべ、
あなたは みえ、
あなたは かくれ、
あなたは よろよろとして わたしの心のなかに 咲きにほふ。

みづいろの あをいまぼろしの あゆみくるとき、
わたしは そこともなく ただよひ、
ふかぶかとして ゆめにおぼれる。

ふりしきる さざめゆきのやうに、
わたしのこころは ながれ ながれて、
ほのぼのと 死のくちびるのうへに たはむれる。

あなたは みちもなくゆきかふ むらむらとしたかげ、
かげは にほやかに もつれ、
かげは やさしく ふきみだれる。



 大手拓次! ――こう書いて、いったい、あと何を書くことができるのだろう。いまは、大手拓次の詩をただ繰り返し読むしか法がない。あの『大手拓次全集』を手にとったことはないが、いまは岩波文庫版『大手拓次詩集』(原子朗編)によって大手拓次の詩を読むことができる。だが、大手拓次の詩は取扱注意だ。どの頁を開いても、たちまち拓次の詩は迂生を捉えて、このまま読み続けていたら、もはや日常には帰れなくなるのではないかと戦慄させられる。だから(?)、今回は一篇の詩を紹介するにとどめたい。拓次は生涯に2378篇の詩を残したが、原子朗氏は「時間をぞんぶんにかけ、あくまで作品の出来ばえということを選択の基準として、数回にわたってしぼりこんで」、訳詩を含めて232篇の詩を精選したという。ほんとうに、どの詩もすごい。いまは、拓次最後の詩、原子朗氏が「絶筆傑作」と云う、「そよぐ幻影」を、なにも考えずに、ただ繰り返し読んでみたい。大手拓次は、1887年(明治20年)に生まれて、1934年(昭和9年)に死んだ。「そよぐ幻影」が「中央公論」に発表されたのはその前年の8月であった。拓次は、39歳の時に書いたある詩の冒頭で、「ひとつの言葉を抱くといふことは、ものの頂を走りながら、ものの底をあゆみゆくことである。」と書いている。(文責・岡田)