二十五歳  金子光晴
振子は二十五歳の時刻を刻む。

夫〔それ〕は若さと熱祷〔いのり〕の狂乱〔ものぐるひ〕の刻を刻む。
夫は碧天の依的兒〔エーテル〕の波動を乱打する。

夫は池水や青葦の間を輝き移動してゆく。
虹彩や夢の甘い擾乱〔ぜうらん〕が渉つてゆく。

鐘楼や、森が、時計台が、油画の如く現れてくる。

夫は二十五歳の万象風景の凱歌である。

  二

私の鏡には二十五歳の顔容〔かんばせ〕が陥没してゐる。
二十五歳の哄笑〔たかわらひ〕や、歓喜〔よろこび〕や、情熱が反映してゐる。

二十五歳の双頬〔さうげふ〕は朱粉に熾〔も〕えてゐる。
二十五歳の眸子〔ひとみ〕は月石の如く潤んでゐる。

ああ、二十五歳の椚林〔くぬぎばやし〕や、荊棘墻〔いばらがき〕や、圓屋根〔ドーム〕や、電柱は其背後を推移してゆく。
二十五歳の微風や 十姉妹の管弦楽が続いてゐる。


空気も、薔薇色の雲も、
あの深𨗉〔しんすゐ〕な場所にある見えざる天界も二十五歳である。

山巓〔さんてん〕は二十五歳の影をそんなに希望多く囲む。
海は私の前に新鮮な霧を引裂く。

二十五歳の糸雨〔こさめ〕は物憂く匂やかである。
二十五歳の色色の小鳥は煙つてゐる。

二十五歳の行楽は、寛〔ゆる〕やかな紫煙草の輪に環〔ま〕かれてゐる。
二十五歳の懶惰〔らんだ〕は金色に眠つてゐる。

  三

二十五歳の夢よ。二十五歳の夢よ。
どんなに高いだらう。
二十五歳の愛欲はどんなに求めるだらう。
二十五歳の皮膚はどんなに多く罪の軟膏を塗るであらう。 


二十五歳の綺羅はどんなに華奢〔はでやか〕であらう。

二十五歳の好尚〔このみ〕はどんなに風流であらう。



 時間が前後するが、金子光晴(1895-1975)の『こがね虫』(1923年/大正12年)をうっかりと見落としていた。金子光晴――! この捉えがたい詩人を一言で語ることは不可能であり、また、そこに尽きない魅力があるといえよう。それにしても、光晴29歳の時に出版された『こがね虫』一巻の輝きは、その後の詩人の歩みを見るとき、貴重なものに思われる。「自序」で、詩人は「余の秘愛『こがね虫』一巻こそは、余が生命もて賭〔かけ〕した贅沢な遊戯〔あそび〕である。倡優の如く余は、『都雅』〔みやび〕を精神〔こヽろ〕とし、願はくば、艶白粉、臙脂の屍蝋とならうものを……。/『こがね虫』は其綺羅な願である。」と書いている。詩人は、1920年、ベルギー・ブリュッセル郊外の村に半年ほど滞在するが、それは「学ぶことのたのしさは、この時期をすごして、永久に僕のもとへかえってこなかった」時でもあった。上の詩を読んでいると、「二十五歳」の前に広がる世界が見えてくる。この後、関東大震災に遭い、1925年に『水の流浪』が出版されるが、それは、詩人のことばによれば、「『こがね虫』の耽美主義にかくれていたその思想(註・ニヒリズム)が(略)むき出しになった」詩集であった。(文責・岡田)