2009年08月17日
たんぼの女 中野重治
そうです
なんというおだやかな日和〔ひより〕でしよう
空はすつかり晴れあがつて黒いつぐみが渡つて来る
そしてたんぼに 稲の苅株にはひこばえが生じ
そこにあなた方は坐つている
あなた方は三人 ちいさなむしろの上で話をしている
そして通りすがりの私に向かつていかにもなつかしげに言葉をかけて来る
たんぼに坐つている三人のやさしい女の人
わたしもそこへまじりに行きたい
そこへ行つてそこに坐つて
その特別な話が聞いてみたい
けれどもあなた方
あなた方は遊女でわたしは生徒です
えええ ほんとに穏かな日和ですよ
ここわなわて路です あなた方の街の裏の細い一本のたんぼ径〔みち〕です
わたしもそこに気さくにまじりに行きたいのです
それなのにわたしは帰らねばならぬのです
さよなら たんぼの女の人
わたしはほほ笑みを一つ返します
たんと日光をお吸いなさい
たんときれいな空気をお吸いなさい
わたしはもう帰ります
さようなら たんぼの人 たんぼの三人のあなた方
第一次世界大戦(1914年)後の不況、続いて関東大震災(1923年)がもたらした混乱のなか、大正末期から昭和初頭にかけて、現代詩が形成されていく。それは、芸術革命を志向するアヴァンギャルドの文学運動、社会革命を志向する無産階級の文学運動のふたつに大きく分けられる。前者はモダニズム詩へ、後者はプロレタリア詩へと展開されていくものだが、思いきり単純化して云えば、コトバの芸術を志向する者たちとイミの文学を志向する者たちがいたということになる。これからしばらくの間読んでいこうとする詩は、その時代のものだが、いまも読むにたえる詩はそう多くはない。
中野重治(1902/明治35年―1979/昭和54年)の詩はいまでも読むことができるし、これからも読まれていくだろう。彼は一般にプロレタリア詩人といわれるが、そういう限定句を取り払って、中野重治はただ詩人であったと云いたい気持ちがある。彼が集中して詩を書いたのは大正14年から昭和2年にかけての数年である。それは、近代詩の理念が崩壊して現代詩へと向かう時代であったが、中野重治がその初期に書いた詩は、時代性が刻印されていない繊細な抒情詩で、どれも味わい深い。
「たんぼの女」はそのひとつだが、「おだやかな日和」がとてもやさしく書かれていて、妙に印象に残る詩だ。「わたしもそこに気さくにまじりに行きたいのです/それなのにわたしは帰らねばならぬのです」という二行は、わかりにくいところがあるけれども、このわかりにくさもまた彼の詩であったと、いまは考えたい。終連の「さよなら」「さようなら」は、後に書かれる「夜明け前のさよなら」「汽車 三」「雨の降る品川駅」にそれぞれ現われる「さよなら」とはもとより異なるが、中野の詩によく現われる「さよなら」(別れ)の主題として興味を惹かれる。この抒情は、どこからきて、どこへいったのか。『中野重治全集』全28巻(詩集はその第1巻に収録されている)を読みたくなるときがある。(文責・岡田)
(今年の夏はあまり夏らしくないが、蒸し暑さは堪えがたく、先週はこの「今週の詩」を夏休みとした)
なんというおだやかな日和〔ひより〕でしよう
空はすつかり晴れあがつて黒いつぐみが渡つて来る
そしてたんぼに 稲の苅株にはひこばえが生じ
そこにあなた方は坐つている
あなた方は三人 ちいさなむしろの上で話をしている
そして通りすがりの私に向かつていかにもなつかしげに言葉をかけて来る
たんぼに坐つている三人のやさしい女の人
わたしもそこへまじりに行きたい
そこへ行つてそこに坐つて
その特別な話が聞いてみたい
けれどもあなた方
あなた方は遊女でわたしは生徒です
えええ ほんとに穏かな日和ですよ
ここわなわて路です あなた方の街の裏の細い一本のたんぼ径〔みち〕です
わたしもそこに気さくにまじりに行きたいのです
それなのにわたしは帰らねばならぬのです
さよなら たんぼの女の人
わたしはほほ笑みを一つ返します
たんと日光をお吸いなさい
たんときれいな空気をお吸いなさい
わたしはもう帰ります
さようなら たんぼの人 たんぼの三人のあなた方
第一次世界大戦(1914年)後の不況、続いて関東大震災(1923年)がもたらした混乱のなか、大正末期から昭和初頭にかけて、現代詩が形成されていく。それは、芸術革命を志向するアヴァンギャルドの文学運動、社会革命を志向する無産階級の文学運動のふたつに大きく分けられる。前者はモダニズム詩へ、後者はプロレタリア詩へと展開されていくものだが、思いきり単純化して云えば、コトバの芸術を志向する者たちとイミの文学を志向する者たちがいたということになる。これからしばらくの間読んでいこうとする詩は、その時代のものだが、いまも読むにたえる詩はそう多くはない。
中野重治(1902/明治35年―1979/昭和54年)の詩はいまでも読むことができるし、これからも読まれていくだろう。彼は一般にプロレタリア詩人といわれるが、そういう限定句を取り払って、中野重治はただ詩人であったと云いたい気持ちがある。彼が集中して詩を書いたのは大正14年から昭和2年にかけての数年である。それは、近代詩の理念が崩壊して現代詩へと向かう時代であったが、中野重治がその初期に書いた詩は、時代性が刻印されていない繊細な抒情詩で、どれも味わい深い。
「たんぼの女」はそのひとつだが、「おだやかな日和」がとてもやさしく書かれていて、妙に印象に残る詩だ。「わたしもそこに気さくにまじりに行きたいのです/それなのにわたしは帰らねばならぬのです」という二行は、わかりにくいところがあるけれども、このわかりにくさもまた彼の詩であったと、いまは考えたい。終連の「さよなら」「さようなら」は、後に書かれる「夜明け前のさよなら」「汽車 三」「雨の降る品川駅」にそれぞれ現われる「さよなら」とはもとより異なるが、中野の詩によく現われる「さよなら」(別れ)の主題として興味を惹かれる。この抒情は、どこからきて、どこへいったのか。『中野重治全集』全28巻(詩集はその第1巻に収録されている)を読みたくなるときがある。(文責・岡田)
(今年の夏はあまり夏らしくないが、蒸し暑さは堪えがたく、先週はこの「今週の詩」を夏休みとした)
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