勧酒  干武陵(井伏鱒二訳)  

勧酒金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 

 中原中也訳『ランボオ詩集』が出版されたのは1937年9月だが、年表を見ていると、その5月に井伏鱒二の『厄除け詩集』が出版されていて、その版元がいずれも野田書房であるところに目がいく。野田書房は、1934年に堀辰雄の『美しい村』限定500部出版により活動を開始した。社主は、当時23歳の学生、野田誠三。野田書房は、その造本で知られ、限定本16冊、「コルボオ叢書」12冊などを刊行したが、1938年、堀辰雄の『風立ちぬ』限定版刊行後の野田誠三の自殺により、その活動を終えている。
 中也の日記に野田誠三が登場するところがある。「八月二十八日/ランボオ詩集第四校発送。(責任校了とす。)どんな本になることやら、俺は知らない。/「永遠の中耳炎氏」即ち野田誠三がやることだ。俺は知らない。奴は校正刷を送る以外、何を問い合せても一度の返事もしない。虫のいい奴!」

 井伏鱒二の『厄除け詩集』は、「コルボオ叢書」の一冊として出版された。上記の「勧酒」、読み下しを記せば、「君に勧む 金屈巵〔きんくつし〕/満酌 辞するを須〔もち〕いず/花発〔ひら〕いて風雨多し/人生 別離足る」となるが、転結二行の訳は見事というしかない。(10.2.1 文責・岡田)