菊  竹内勝太郎

 

菊の香や奈良には古き仏たち  はせを

 

純白の菊の花、
秋の日ざしのなかに
燦々〔さんさん〕と冷えてゆく真珠色の菊の花、
山鳩の声は大空に散り、
孔雀は尾を拡げて静かにからだを廻す、
青い時針〔はり〕が正午を指さし、豊かに時は満ちる。

梟〔ふくろふ〕はいつまでも杉の梢に
目をつぶつて黙して居る、
菊の香りは遠い世の光を照り返し、
人の心を幽〔かす〕かに打つ、
菊の花にうつし出されて来るその母の記憶〔おもひで〕、
古代〔むかし〕の人形の朧かな面影。

人形の額から菊の香りが匂ふて来る、
緑の髪からは昨日が
つぶらの瞳からは明日が仄〔ほの〕かに匂ふて来る、
限りなく老いを重ねる菊の花、
死を越えて新しい日のなかに誇りがに
人形はいつまでも年を取らない。

幽かな額にうつる淡い日ざし、
人形は花のなかに埋もれてしまふ、
山鳩は巣に帰り、孔雀の羽根を収める時、
菊の花は人形の貌に寒々と冴え返る、
華やかな過去の日を呼び戻し、将〔はた〕、
遠い未来の感情をぢりぢりと焼きつくす純白の菊の花……

                  (昭和八年十二月二十四日)

 

 「詩は『形』である。絶対の無が純粋透明なる形式に自己を限定したものである。生命、精神、本質、実在、神……あらゆる永遠の存在と認められるものが詩の内容でもなければ、詩の源でもない。それら凡てのものが悉く否定せられる処、この絶対の無こそ詩の源泉である。」——このように云うのは竹内勝太郎(1894/明治27年—1935/昭和10年)である。この詩人については、大岡信氏の「割れない卵」などを通してわずかに知るばかりであるが、気になる詩人のひとりである。大岡氏は竹内のことを「詩を見る(したがって詩を作ることに背理を見る)にいたった詩人」(引用文中、「見る」「作る」に傍点あり)と云うが、詩を書く者が一度ならず考えるこの「無」についてはどれほど考えても考えすぎるということはないだろう。竹内勝太郎はどのような「詩」を書いたのか。「率直に言って、彼の遺した詩作品は、決して今日の好尚に適うものとはいえないし」、「詩人自身の意図と実現された作品との間に、ある種の方法的な錯誤があったように思われるところがあり」と大岡氏は云うが、「贋造の空」などを読んでいると、「道は無窮なり。さとりてもなほ行道すべし」という道元のことばがなぜか思い出されてくる。上の「菊」は、自ずと繰り返し読まされる詩である。その、意識された措辞は「人の心を幽かに打つ」。そして、「人形はいつまでも年を取らない」と、なにげなく置かれた一行が立ち上げる「豊か」な「時」。それは「将」、「絶対の無」であったのか。この詩を書いた一年半後、詩人は黒部渓谷に転落、その生涯を終えた。(10.3.29 文責・岡田)

 

〔蛇足少々〕この「今週の詩」は、読んだ人の胸底に残る詩、この詩人の詩をもっと読んでみたいと誘われる詩、詩のなんたるかを教えてくれる詩……そういう一篇の詩を一週間紹介することを意図して、明治時代から始めたのだが、1930〜40年代の詩を紹介するところにきて、ユウウツな気分とならざるをえない。それは、日本の詩人たちが愛国詩・戦争詩になしくずし的に向かった、日本現代詩の負の時代と向かい合うことだからである。もとより、単純に「負の時代」と片づけられるわけもなく、精密な分析が必要とされるが、それは「今週の詩」の当面の主題ではない。これからしばらくは、戦争の時代を単独者として生きた詩人たちの詩を紹介していければと思う。(戦争詩について詳しく知りたい人には、瀬尾育生氏の『戦争詩論 1910-1945』(平凡社)をおすすめします)